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1984年7月

アメリカ放浪記 (12)

写真は塗装をしているところです。
メッキをやってしまうくらいですから、塗装も当然ですよね。
規模は決して大きくないのですが、すべて、自分のところでやってしまう、これが、彼のシゴトみていて一番勉強になったことでした。

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彼のシゴトをみていたら、やたらとフレームをつくりたいという、
キモチが膨らんできました。
一通りシゴトみれて、自分の中で吹っ切れたものができたので、
彼に、「いろいろありがとう、もういくことに決めました」
といったとき、
彼が、「どこへ行くんだ、大丈夫なのか?」
と困惑顔で聞いてくれたことを今でも思いだします。
少しの間ですが、一緒にいる時間が長かったので
、多少の情が発生したのかもしれません。
おそらく、ボクがどうしても彼のところでシゴトをしたい、
という思いがその時つよかったなら、きっと、
「もう一度シゴトする事かんがえてもらえませんか」
といっていたと思います。
そして、もしかしたら、彼はOKしていたかも・・・・。
しかし、その時、ボクは、「大丈夫、何とかするからご心配なく」
と言ってしまいましました。
あのとき、もう一度彼に頼んで、アメリカでシゴトする事ができたら、
今頃どこで何をしているんでしょうね。
まず、つくばにはいないでしょうね。
ジンセーっておもしろいです。

こうして、とりあえずの目標を失ったボクは、アメリカのバイク雑誌を片手に、フレームビルダー巡礼の旅へとでました。
この後も、たくさんのいいヒトにあって、フレームつくりにかんしても、たくさん得ることができ、
予定より全然早く(予定では向こうに移住するつもりでしたから)あっさり帰ってきてしまいました。
これ、結果的にいうと挫折になるんですが、自分的には次のステップのための、重要な通り道だったなとおもってます。
一応、アメリカ放浪記これで最終かとさせてもらいます。
また、機会があったら、今度はイタリア就職記でもやってみたいとおもいます。
アメリカの写真、ショップに張り出しておきますので、よかったら見に来てください。

アメリカ放浪記 (11)

アメリカのフレームビルダーにあって、シゴトぶり見て、いちばんちがうなと思ったのは、完全自家製産なのですね。
僕らは通常、塗装は外注におねがいするのですが、彼は自分のところでやってました。

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なんとメッキ加工まで!
写真はエンドメッキをかけているところです。
そのほか、フレーム製作に必要な、補強板と小物るいも自分でつくってました。
これ、まわりにそういう関連業種がなかったからとおもいますが。
(まわりはトウモロコシ畑)
これみて、さすが、パイオニアの精神が流れる国のヒトビトだな、
と感心した思い出があります。
 
ないものは、自分でつくってしまえばいい。
でも、これ、ボクが日本でフレーム作りを勉強させてもらった、
アマンダスポーツの千葉洋三氏の考えそのものなのです。
こんな事を考えると、ボクは日本で勉強していたときに、
すでにアメリカにあるものも勉強していたんですね。
でも、ほんの少しみたただけで、判断してしまうのは
全くの見当違いの部分もあるとおもいますが。
 
こんな感じで2週間位通いましたかね、せっせと自転車で。
アメリカ放浪記 (12)
 

 

アメリカ放浪記 (10)

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写真は工房内のものです。
ボクがわざわざアメリカのフレームビルダーを目指したのは、
アメリカ人特有のアイデアで、日本やヨーロッパとはちょっと
違った、方法や道具でフレーム作りをしているのはないかと、
いうことをしりたかったのが理由のひとつでした。
しかし、実際にみてみると、ほとんど日本で勉強してきたこと、
使ってきたものと同じでした。
当然と言えば当然なのでしょうが。
でも、これ行ってみなければわからないので、
それを知っただけでも行ったかいはありました。
 
いろいろなこと考えながら、毎日通って、彼のシゴトみてました。
 

 

アメリカ放浪記 (9)

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写真は苦労してみつけた、フレームビルダーの工房です。
看板もなんもなく、納屋を改装したような建物でした。
これじゃ~、前を通ってもわからなかったでしょう。
周りはトウモロコシ畑、隣家なし。
 
このフレームビルダー、当時はアメリカNo1と
言われていたヒトです。
この当時は、クロモリのロー付けフレームが主流ですから、
このNo1というのも、ロー付けのきれいさや、
ラグワークのきれいさが評価されていた時代です。
彼のつくったものは、オリンピック選手や、
世界チャンピオンが使っていました。
昨日の続きで、アポなし突撃体当たりで、訪ねていって、

とりあえず家に入れてもらい、単刀直入に申し入れをしてみました。
とりあえず、3ヶ月間、ノーギャラでいいので、使ってもらえないかと、それで気に入れば雇ってくれればいいし、だめなら、あきらめる、ということを。

結局は、ビザの問題だとかを理由に、断られてしまいました。
でも、まあ、今考えれば、全く知らない外国人がいきなりきて、働かせてくれてといっても、普通は断りますよね、今の自分でも断るでしょう、キット。

そんなわけで、とりあえず、働くのは諦めるので、少しの間シゴトを見せて欲しい、
ということをお願いして、それはOKをもらい、毎日、アレンタウンのホテルから、自転車で工房へ通うことになりました。

アメリカ放浪記 (8)

写真は、BREINIGSVILLという、目指すフレームビルダーの工房がある村の入り口です。
アレンタウンからたしか15kmくらいのところだったと思います。

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このフレームビルダーとは、ある人を介してしりあり、
手紙でやりとりして、就職の依頼をしてました。
結局手紙では、シゴトする事を断られてしまい、
とにかく、行って直談判するしかないと考え、
相手には連絡ナシのアポなしゲリラ作戦でした。
ですから、すべて自力で工房までたどり着かなければ
いけなかったのです。
かなり小さい時から地図片手に旅行していたので、
大概のところは、地図一枚でいけると自身持ってました。
でも、この村は(というよりアメリカの田舎)違ってました。
家と家の間が、1km位あるのですね。
はじめはたかをくくって、すぐみつかるさと、

自転車でクルクル廻ってましたが、全然それらしい建物はなし、(ちゃんと店構えしていると思っていたのですね)
雨は降ってくるし、ヒトに聞こうにも、ヒトどころか人家もないし、こんな時って、とても心細くなるのですね、
雨にぬれながら、なんでこんなことしてるんだと、かなりブルーになって、もう諦めて帰ろうかななどと弱気になってました。
でも、そこでも、またまた、幸運の女神が。

地図をながめていると、なんとジョギングをしているヒトがくるではないか。
お~神よ、とうなりながら、ここへ行きたいんだけどと住所を書いた紙をみせて、祈るようにきいてみました。
その住所をみて、しばらく考えていて、「よしわかった、オレが連れてってやる」と行ってくれました。
自分の感覚では、相当近くまできているつもりだったので、そのままジョギングでいくのかと思ったら。
一度家にかえり、クルマをだしてくれて、自転車とボクを積んで、いってくれました。

それでなんとかたどり着くことができましたが、やはり一人では無理なような街のつくりでした。

いや~、アメリカってやはりスケールでかいなと、おもわされました。
そうやって、アポナシで突撃したフレームビルダーですが、もちろんアポナシなので、
玄関で門前払いくうかもしれないという不安もありましたが、
とてもビックリした表情で(そりゃそ~だ)、だけど結構やさしく迎えてくれました。

なんと、まあ、悪運のつよいワタシ。

アメリカ放浪記 (7)

写真は昨日かいた滞在したホテルで、とった数少ない自分が写った写真ですね。
20年近く前のマツナガのお宝(どこがだ!)画像です。

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よく見ると、我ながらやはりトシとったなと感じます。
ロサンジェルスから飛行機でフィラデルフィアへ飛んで、
到着したのが、朝の5時位だったとおもいます。
(この話前にも書いたことあると思いますが勘弁を)
空港からバスセンターまで行かなければならないのですが、
まだ、バスが出る時間までは一時間位ありました。
アメリカに来る前の下調べで、タクシーはぼられたり、
もっと悪ければ、身ぐるみはがされるような事があるから、
できる限り乗らない方がいいと、読んだり聞いたりしていました。
ですから、ここでも絶対乗らないつもりで、
バス亭でバスをまってました。
すると、近くのタクシー乗り場から、
黒人のオジサンがのたのた歩いてきて、

「どこまで行くの?バスはまだ時間かかるよ、オレのタクシーにのっていきなよ」てなことをはなしかけてきた。
いっちゃ悪いが、かなり危なそうな風体。
ボクは、「お金がないから、バスを待つよ」とやりすごし、ホッと。
そのオジサン、いったんクルマまでもどって、しばらくしたら、またやってきて、
「のってきなよ~、やすくしとくからさ~」
「バスセンターまでなら~ドルぽっきりだよ」とのたまう。
なんか、その雰囲気に、あまり危険をかじなかったせいか、「ほんとに~ドルポッキリなの」とつい、言ってしまった。
で結局そのタクシーに乗ることに。

荷物をのせて、ボクは助手席に。

お気まりの、どこからきた、なにしきた、とか世間話しながらバスセンターへ向かう。
会話の途中、フッとハンドルを見ると、なんと、そのオッサン、指が三本しかない、まるで妖怪人間ベム(ふる~い)のように。
ギョとしてしまったけど、ここで動揺したとこみせて、怒らせでもしたら大変と、なんとか平静をたもち、会話を続けた。
でも、そのオッサンなかなかいいヒトで、ボクが一人で旅していると知ったら、いろいろアメリカの危ない事おしえてくれた。
さらに、バス停についたら、チケット売場まで、護衛(?)してくれた。

とにかく、荷物から手を離すなとのこと。

どうやら、このオッサンこの辺りの顔らしく、一緒に歩いていると、怪しそうなヒトビトから、挨拶をうけている。
おそらく、オレのお客だから、悪さはするなよ、というような意味で護衛してくれたみたい。

最後に、「気をつけていきなよ」と寅サン風にきめてさっていった姿が、結構カッコよかった。
でも、運がよかったな~、悪党でなくて。

アメリカ放浪記 (6)

写真は東海岸のフィラデルフィア(映画ロッキーの舞台)という都市、から少し離れたところにあるアレンタウン(昔ビリージョエルが歌にした街なのですが)という街のホテルの部屋からとった風景です。

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この街からさらに少しはなれたところに、
目指すフレームビルダーの工房があったのです。
フィラデルフィア空港におりたち、バスを乗り継いで、
アレンタウンについて、でかい荷物かかえて、
知っているヒトは皆無、どんな街かも全く知らず、
さあ、どうしたものかと、不安で一杯でした。
街の規模としたら、田舎の中都市とうところでしょうか。
 
着いてすぐホテルを探さなければならないのですが、
当時、潤沢な予算を持っているはずがなく、倹約するために、
とにかく安いホテルをさがさなければと、おもってました。
当然バス停のすぐ近くにホテルはあるのですが、

結構立派そうで高そうなので、もう少し町外れに行けば安いモーテルでもあるかなと、でかい荷物引きずるように、街を徘徊しました。
結局、大して大きい街でもないので、ホテルは最初のバス停の近くしかなく、クタクタになり、最後はもういくらでもいい、
とにかく、やすみたいと、という思いで、このホテルにはいった記憶があります。
とにかく、その日寝るところが見つかったという、安堵感から、撮った写真だとおもいます。

アメリカ放浪記 (5)

写真はロッキー山脈の山頂近辺の、大陸分水嶺です。

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この山々を境に、東海岸と西海岸へ流れ込む川とがわかれます。
たしか、この辺りを走っていたとき、ポツポツの雨が降り出し、
あせって下りだした記憶があります。
でも、下りだしたら、たしか、また太陽が顔をだしたはず。
この大陸分水襟みながら、アメリカの開拓者達は、東海岸から、
西海岸目指して、この山々こえてきたのかな、
などと思いをめぐらしてました。
デンバーでは、知り合いがいたこともあり、
おもしろい体験をしました。
初めてドライブインシアターに入りました。
映画などではみていましたが、確か当時まだ日本にはなかったと思います、広場にでかいスクリーンがあり、お金をはらって、

クルマで入っていって、方々にたっている、スピーカースタンドから、スピーカーを車内にいれて、映画を見るのです。
あと、バーにいって、お酒をのんだら、ID(身分証明書)をもとめられたり。
当時は未成年の飲酒に大変うるさかったみたいです。
(州によってちがいがあるようですが)

アメリカ放浪記 (4)

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写真はデンバーをでて、ロッキー山脈の最高点を、
目指して自転車で登ったときのものです。
 
写真には9235 FT とありますから、
だいたい標高が2800m位なのですね。
天気もよく最高に気分が良くて、
空ってこんなに青かったのかと、おもった記憶があります。
 
ここを登っていたときの、今でも思い出すと、
こわいはなしがあります。
かなり長い登りを、ヘコヘコしながらのぼっていって、
ヨロヨロとようやく峠の頂上付近へさしかかったときに、
峠の茶屋みたいな、カフェ・レストランがあって、
そこの店のまえに、フランダースの犬みたいな、
バカでかい犬が寝てました。
こっちをみるなよと、思いながら、
重い足を何とかまわしてやり過ごそうとしたとき、
ムックと立ち上がり、
大声で吠えながら、走って向かって来るではありませんか。
そらく立ち上がるとボクと同じくらいの大きさの犬ですから、
ホントに、生命の危険を感じました。
(アメリカくんだりまできて、犬にかまれて死んだなんて、
あまりにも情けないはなしですから)

このとき、火事場の馬鹿力というものを、体験したと今でも思ってます。
それまで、進むのがやっとという状態だったのが、ものすごい(と思う)スプリントを発揮して、その場から逃げ出しました。
かなりしつこく吠えて居ってきた思い出があるのですが、実際はそれほどでもなかったのかもしれませんね。
とにかく、犬が諦めてくれたときの、安堵感といったらいいようがないくらいでした。

アメリカ放浪記 (3)

話は前後しますが、(思いつきでかい手ますので、ご勘弁を)
写真は、ソルトレイクシティーへ行く前に、立ち寄った、コロラド州デンバーという、
コロラド州立大学のある学園都市に滞在したときに、ロッキー山脈へ自転車で登った時の写真です。

108403.jpg
当時デンバーは、自転車レースの盛んな街で、
この街に知り合いがいたこともあり、なにかあるもしれないと、よった街です。
ここでは、最初はユースホステル、そしてすぐにキッチン付きの
ホテルを探して、スーパーなどで買い物しながら、滞在しました。
ロッキー山脈のふとものとてもきれない街でした。
(今ではマラソン選手の高地トレーニングで有名みたい)
 
学園都市ということで、つくばとちょっとにているところがあり、
つくばへきたとき、この街のことを思い出しました。
この街では、本気で、大学へ通えないものかと、考えていました。