職人マツナガ通信

イタリア就職記 (46 最終回)

P工房で働き続けるのはあきらめましたが、僕のなかでもう少しレースの本場で仕事をしたい希望がりましたので、他の工房もあたるつもりでしたが、出発に前にひいた肺炎一歩手前の風邪に、滞在中もずっと悩まさせられいたので、とにかく一度日本へ帰ることに決めました。
そうして、年末も押し迫った頃、成田におりたちました。

最初にも書きましたが、今回のイタリア就職は、最初にイタリアありきではなく、自分の仕事が希望の環境でできるとこ、でイタリアになったのです。
これが、アフリカとかメキシコとかでしたら、きっとそちらに行っていたと思います。
ただ、いってみてイタリアでよかったと思います。

たしかに約束がルーズであったり、こねがなければ何も出来なかったり、信号は無視、2重3重駐車は当たり前だけど、人々が陽気ですごくフレンドリーな感じをうけました。
僕が居たのは北イタリアで、南のほうはしりませんが、ほとんど人種偏見を感じることなく過ごせました。
また、日本のレースバイク界にありがちなイタリア製品至上主義を、少しでも打ち負かせたらという思いもありました。

イタリアのD社のバイクはなんか加速がいいだよね、とか、C社のバイクは疲れないしよく進むとか、イタリア製ということだけで、なにか特別違うような神がかり的な話になってしまう。

日本の自転車作りだって、すてたもんじゃないんだよ、ということを、イタリアでフレームをつくることにより、日本へアピールしたいという思いがありました。
自分の目標に対して100%は達成出来ませんでしたが、この後の仕事の肥やしにはたっぷりとなったと思います。

今回でこのイタリア就職記は最終回となります。
おつき合いただみなさま、どうもありがとうございました。