1991年07月

イタリア就職記 (6)

雑誌社のFさんの紹介で、イタリアのフレームを輸入しているKさんに会うことができました。 自分の思いを伝えて、また、相手先の事をいろいろ聞きました。 工房の規模もちょうどよさそうだし、作っている自転車から自分にはないものも…

イタリア就職記 (5)

行き先をイタリアに決めて、次は具体的にどこへどうあたるか。 この時点では、コネも何もないので、アメリカへ行った時 と同じように、自分のセールスレターをつくり、工房へ求職のダイレクトメールという方法。 あまり大きすぎても仕…

イタリア就職記 (4)

千葉師匠に承諾をもらったのが90年末、91年には行き先が決まろうが決まるまいがアマンダを離れる事が決まり、さてどうするか。 まずは行き先ですが、自分の目的が、レースの現場があるところでフレーム作りをしたい、ということなの…

イタリア就職記 (3)

まずはじめにやらなければならないのは、10年近く大して器用でもなく、我の強い自分を、辛抱強く雇ってくれて、色々勉強させてくれた千葉師匠に承諾をとること。 当時アマンダスポーツは、師匠と奥さんとボクの三人体制。 フレーム関…

イタリア就職記 (2)

折しも90年に日本で、自転車の世界選手権がありました。 日本での開催が決まった時から、日本の自転車レースシーンもにわかにかわりはじめました。 日本人のロードのプロチームが初めて発足して、世界戦に向け活動が始まったのです。…

イタリア就職記 (1)

そもそもなぜイタリアかというところからお話始めますね 当時ボクは29才、フレームビルダーという仕事について10年近くたっていました。 この間、東京のアマンダスポーツで幸いにして、日本の主立った選手のフレームをかなり製作さ…