クマさんのバイク専科

忌野清志郎さんのオレンジ号は2台ある!

ロックンローラーの忌野清志郎さんが亡くなって10年になります。スポーツバイクつくばマツナガとはプロジェクトMを2台続けてオーダーいただいて、盗難事件で100万円越えのロードバイクとして有名になった「オレンジ1号」と「オレンジ2号」として、愛用していただいたというご縁のある人です。当時、清志郎さんがロードレーサーに乗っているという話は聞いていましたが、音楽には全く興味がなく、テレビコマーシャルに坂本龍一さんと出ていたな〜、くらいで、ふーんそうなのってな感じでした。歌手やタレントさんがロードレーサーに乗っているだけで、なんでそんなに騒いでいるのかと思いました。

 

清志郎さんは50歳のとき、最初にケルビムのスチールバイクをオーダーで作り、次にサイクルスポーツの広告バーターの企画でトレックのOCLVカーボンフレームの、ペイントオーダーでパーツはカンパニョーロのレコードのモデルを、トレックジャパンから提供されることになり、トレックのディーラーの、中野のフレンド商会でポジションの採寸を行なって、組んでもらいました。次に選んだのがプロジェクトMの超軽量のオレンジ1号で、ビーパルの取材でキューバを走ったときに、激坂を体験した時に相談されて、上りを楽に走りたいとオーダーした2台目のプロジェクトMです。

 

キューバでの取材中に体調不良を感じ、帰国直後に診察を受けて、咽頭ガンと診断され、歌声に関わる咽頭の手術を回避して、放射線治療と抗がん剤投与による、1年間の苦しい治療を受けました。ロックンロール研究所を訪れると、髪の毛や眉毛が抗がん剤の副作用で抜けて、ニットのキャップをかぶった清志郎さんが出迎えてくれました。放射線による治療とか、抗がん剤の投与はスケジュールが決まっていて、病院に行って点滴で行うのだそうです。抗がん剤治療を受けると体調が悪くなって、動けなくなると言っていました。

 

歩くのも階段を上るのが辛くなるほどに体を重く感じて、全身がだるくて力が出ないそうです。ガン細胞をやっつけているのかもしれないけど、健康な体も細胞レベルで壊しているんじゃないかと感じていたようです。けど、ただじゃ転ばないのがロックンローラー魂。もうすでにオレンジ1号に乗って、代々木上原の上り坂を走ったそうです。全然脚に力がはいらなくてさ〜、驚いたよ。人間ってこんなになっちゃうんだね。武道館で復活コンサートをやるんだけど、そこまでに心肺機能とか筋力が復活するか心配になってきたそうです。

 

もうすぐキューバで考えた2台目のプロジェクトMが完成するんですけど、フレームのペイントを決めていなかったので、松永店長に聞いてきてと言われているんですけど。オレンジ号はお気に入りのイギリス製のアンプのブランドのコーポレートカラーと、その会社の公認でロゴを入れたんだけど、2台目の色は、オレンジの果実がオレンジ色になる前のグリーンだね。キラキラと輝くようなグリーンがいいな。何か色見本を探してきて見せてもらって決めようということになりました。

 

グリーンの色見本を求めてスーパーで包み紙を見たり、何かないかなーといくつも色見本になりそうなものを手に入れて、ロックンロール研究所で会いました。絨毯の上に広げられた色見本の中から清志郎さんがつまみ上げたのが、クロレッツのグリーンの包み紙のガムでした。包み紙を剥がして広げて、グリーンの輝く色が気に入ったようで、「カーボンファイバーに定着するポリウレタン塗装でこんな色あるかな〜」と言いました。グリーンのきめ細かいメタリックで深い艶があるという、確かに難しい塗装になりそうです。

 

塗装はオレンジ1号を塗ってくれた、大阪のフレーム専門の塗装屋さんが挑戦してくれることになりました。フレームやフロントフォーク、コラムスペーサー、チネリのRAMのステムとドロップハンドルが一体のものを、特注のグリーンに塗ってもらうことになりました。清志郎さんは、リハビリのため、ガン治療後にだいぶオレンジ1号に乗っていたようです。武道館の復活コンサート前に完成したのがオレンジ2号です。松永店長と二人からの快気祝いとして、ロックンロール研究所へ届けに行きました。スタジオのピアノの前で松永店長が髪の毛が伸び始めた清志郎さんへ渡しています。そのときの写真がスポーツバイクつくばマツナガのフレーム工房のドアに張ってあります。

 

清志郎さんと直接会ったのは、ヨーロッパでのUCI登録のプロチームの運営を一段落して、日本に帰ってきて、少しのんびりして、サイクルショップでも開店しようと思って準備していたのですが、学生選手権を4連覇した順天堂大学の卒業生に、トライアスロン部の臨時コーチを依頼されたりして過ごしていました。筑波大学のトライアスロン部の顧問の先生にスカウトされて、スーパーバイザーを依頼されたりして、学生トライアスリートのコーチ活動をしていました。2000年のシドニーオリンピックの正式種目に採用された51、5kmのトライアスロンのプロ選手の強化にも取り組んでいました。

 

コーチとメカニックの契約をしたプロ選手の強化のために、毎週、愛知県のプロチームの合宿所へ通ったり、ワールドカップや世界選やアジア選に、日本と海外の契約したプロ選手のレース活動に帯同して、メカニックサポートも行っていたので、忙しい生活をしていました。日本人の男子選手は世界選の30位クラスでしたが、女子選手は世界選手権でも上位入賞しているし、ワールドカップシリーズでは表彰台に上ったり、優勝するまでになって、年間のワールドランキングも8位の選手がいました。

 

ここまでくればメダルも夢じゃないという状態でした。日本人選手の勝利の鍵になる要素を探るために、ワールドカップ、世界戦、アジア大会、日本選手権、NTTシリーズ選の、スイム、バイク、ラン、トランジションのタイムの解析を行い、海外のトップアスリートとの違いを洗い出して、まずはオリンピック出場権を、アジア選手血m。世界ランキングなどで、個人名ではなく、日本の競技団体が出場枠を獲得するベストな方法を考えました。選手の強化だけでなく、そういうことまで気を配っていないといけないのが、世界戦やワールドカップで勝つために、上位入賞するための強化、オリンピックの出場権の獲得のために、どうすればいいのかの経験値が少ない、日本のトライアスロン団体の強化部門の現状でした。

 

清志郎さんとの初めて出会いは雑誌の表紙の撮影で、多摩川サイクリングロードで初めて会いました。ロードバイクが通るし、ランナーや散歩する人は通るしで、50歳の誕生日の記念に作ったという、ピンクのペイントのケルビムのロードバイクで何度も走ってもらうことになりました。バイクのコンポーネントは、シマノのデュラエースの10段でした。ビンディングペダルはシマノで、片面がフラットで、片面がSPDのモデルで、放送局のうねりやすいフロアで歩きやすいバイクシューズとの組み合わせでした。身長は167cmくらいで、日本人としては腕と脚が異様に長い人でした。

 

ウオーキングしている人がいるので、待機してもらっている間に、清志郎さんから話しかけられて、昨日も100kmくらい走ってきたんだけど、左膝が痛くなるんだよね、どうにかならないかなという相談でした。週にどのくらい走っているんですかと聞くと、テレビ局やラジオ局の都内の移動はロードバイクで走っているそうです。コンサート活動も、鎌倉や横浜の会場まで走っているそうで、地方のライブも会場まで走っていて、月平均で1000kmを越える時もあると言っていました。

 

カメラマンからOKが出て、表紙の撮影が終わって、クリートの位置を調整することになりました。撮影でしばらく走っているのを見ていたので、ペダリングしながら足が踏みやすい向きを探して、かかとが内外へ細かく動いているのがわかっていました。クリートの向きが足の自然な向きに合っていませんでした。バイクシューズを脱いでもらい、マットを敷いて、その場で膝を高く上げて1分くらい足踏みをしてもらいました。左右の足の向きの違い、膝関節の開きのクセが見えてきました。右脚の膝は真っ直ぐ上下して、開きがありませんでした。

 

40kmも走ると膝関節が痛くなるというのでクセがあるだろうと見ると、膝が開いてガニ股気味でした。足の向きは上死点付近の踏み込む位置で、カカトがやや内側気味でした。脱いでもらったバイクシューズのソールのクリートを見ました。左右とも足の内側の線が平行になるクリートの設定でした。しかもかなりつま先よりに固定されていました。足の裏が地面と平行になった状態で、真横から見て、親指の付け根の母指球の骨の先端と、ペダルシャフトの中心が一致するか少し前になる設定でした。

 

SPDペダルの金属製の小型のクリートは、前後位置、内外の位置、取り付け角度の設定が難しいのです。まずはクセのない右足のクリートから調整しました。踏み込む足を安定かっさせるために、クリートを後ろへ下げて、ペダルシャフトの中心が、母指球の後ろになるように設定しました。これで、すねやふくらはぎの筋肉への足を支える負担が減り疲れにくくなります。クリートの内外の位置はクランクを回しやすいようにクランクへ足を近づける設定にしました。クリートの向きは足の自然な向きに合わせて調整しました。

 

問題の膝関節に痛みが発生する左脚です。前後位置も内外も右足と同じに調整して、ややガニ股気味なので、カカトが内側になるようにクリートの向きを調整しました。これで、両脚ともペダルの踏み面へ足を乗せるだけで、スムーズにキャッチされるようになりました。ペダリングしても、足がペダルの踏み面で踏み込みやすい足の向きを探さなくなりました。気持ちよくペダリングできることを感じて、清志郎さんは多摩川土手を走りに行ってしまい、20分くらい帰ってきませんでした。

 

膝関節も痛くならないし、踏み込んでも膝から下の筋肉への負荷も減ったと笑顔で喜んでいました。サドルの高さや前後位置の調整、ハンドルの取り付け角度や、ブラケットの手のひらに当たる面の角度を調整して、快適に走れるようになったと言っていました。遅めのお昼ご飯を一緒に食べて、その日は解散となり、後日、東京―鹿児島を10日かけて走る計画に協力してほしいと、代々木上原のベイビイズの事務所で言われました。雑誌の同行取材も決まって、鹿児島まで走る5人のバンドメンバーとの顔合わせがあって、フィッティングも行いました。

 

それが清志郎さんとのお付き合いのスタートでした。東京―鹿児島のスケジュールや取材が決まっても、オリンピック選手の強化活動も平行して進んでいるので、ライドの後半にトライアスロンのワールドカップの海外遠征がかぶりそうでした。10日分のザヴァスのサプリメントやボトル、工具や整備台やスペアパーツやホイールを準備して、清志郎さんと、ラフィ&タフィというバンドのメンバーとの、2000kmをただただ鹿児島まで走るツアーが、日本橋から始まりました。ではでは。