クマさんのバイク専科

僕のせいで完走できなかった沖縄ツーリング!

沖縄の本土復帰を記念して祝うコンサートが那覇で開催されるので、バイクを飛行機輪行して、その前日に、ぐるっと北部の沖縄を周るツーリングをみんなでするんだけど、サポートに来てくれないかな、というオファーを受けました。スポーツバイクつくば松永の松永店長も一緒に走らないか聞いてみて、と言われたので誘いました。もちろん楽屋でもサポートしてほしいし、店長はコンサートに招待するからね。ということで、羽田空港から沖縄へ飛行機輪行することになりました。

 

代々木上原から羽田空港までバンドのメンバーはバイクで走っていくことになりました。僕は車で羽田まで後ろを移動していて、嫌な予感がしていました。だって、誰も輪行袋も、ダンボールの輪行ケースを持っていないし用意していないんですから。しかも、清志郎さんはギリギリのチェックインが好なんです。チェックインカウンターの大きな荷物を預ける締め切り時間まで後10分くらいで、ジャルのカウンターに着きました。バイクでロビーへ走り込んで、チェックインカウンターの荷物搬入口へバイクをそのまま持って行きました。

 

外国人の旅行者がキャリヤ付きのMTBバイクを、そのまま機内預かり荷物のカウンターへ搬入していたのを見た清志郎さんが、僕のもお願いしますとスタッフに手渡すと、バンドのメンバー全員がバイクをそのままで搬入し始めました。スーパーバイザーが出て来てマネージャーと交渉しています。ダメだと言われたら、車輪を取り外してプチプチのシートをもらい、ガムテープで包んでしまえばいいかと、成り行きを見ていました。ジャルはハワイのホノルルセンチュリーライドのスポンサーになって以来、車輪を入れたり、フレームを入れたりする箱を海外便では用意しています。

 

国内便も宮古島や石垣島のトライアスロンやアースライド、沖縄本島のツールド沖縄で、バイクの移動が多い時期があるので、ジャルのカウンターはバイクの取り扱いに慣れていて、ホイールを入れる箱が準備されています。もめていたのは、丸のままのバイクの搬入と、15g入りの炭酸ガスカートリッジが当時のルールでは権利放棄となり没収されました。タイヤの空気もぺちゃんこに抜かれました。さらに電動メカだと電源を切ってとか、電池を外してくださいということがあります。輪行袋の中や段ボール箱の中で、変速レバーのスイッチが押されて、モーターが加熱して発火という事がないように、電源を切ってということになります。最新のシマノのDi2の内蔵電池の場合はコネクティングプラグを抜いてしまえば大丈夫です。

 

外装電池の場合は電池をホルダーから外してしまえばいいわけです。スラムのeタップはフロント変速機とリヤ変速機の電池を外して、カバーを取り付けてしまえば問題ありません。電池そのものはリチウムの含有量が少ないのできない持ち込みも問題ありません。充電式電池のリチウムの含有量を示すデータの表示を求められることがあるので、スマホで電池のリチウムの含有量を調べられるホームページを知っておくと係員に示して、輪行がスムーズに行えます。炭酸ガスカートリッジも内容量を表示した数字がプリントされているものを持って行った方がチェックインがスムーズです。

 

現在のルールでは15gのものなら数本まで持ち込みが許されているはずです。今回のような車輪付きのバイクは、預かるのを拒否されることもあるようですが、米軍の軍人さんや、外国人の渡航者の場合はイレギュラーだはありますが、認められていることもあるようです。何度か沖縄便で目撃しています。清志郎さんたちのバイクは、荷室の壁にフックしたベルトでバイクを止めて運びますが、運送中に付いた傷や損傷については社内規定以上には保証しないという書類にマネージャーがサインさせられていました。

 

バイクはそのままプチプチで覆われて、ジャルのロゴが入ったガムテープで止められていました。そのまま貨物の係のスタッフが運んで行きました。重さは問題なくても、縦横高さの合計のキュービックでは規定を上回っているんでしょう。オーバーチャージが発生したり、折りたたむことが求められることもあると思います。でも、サーフボードや棒高跳びの棒とか、カヌーとかも運んでいるはずなので、飛行機の大きさにもよりますが、運ぼうと思えばかなりのサイズでも運べるんでしょうね。ちなみに飛行機輪行の場合は、輪行袋に入れるか、基準内のキュービックの輪行用のダンボールに入れて運ぶのが一般的です。

 

飛行機輪行は、海外へのフライトの場合は、飛行機輪行用の市販の段ボールに分解して入れて、壊れやすく、ダメージを受けやすいフロントフォークやリヤエンドの部分に保護棒をセットして、角を段ボールで2重、3重にして補強を入れて運びます。国内便の場合は少しは扱いが丁寧なので、輪行袋に入れますが、フロントフォークとリヤエンドにバーをセットして、リヤ変速機を外してガムテープで後ろ三角に止めて、リヤエンドやフォーク部分にはダンボールを入れます。車輪とフレームの間にも段ボールを入れて守ります。

 

バイクを壊された場合を考えて、壊れた場合に航空会社が免責となり、1件で5万円まで保証するという内容の書類にサインを求められますが、国内便の経験では、自己申告で価格を示し、1万円あたりいくらという保険をカウンターでかけることにしています。無事に那覇空港でプチプチで包まれたバイクを受け取って、ジャルのロゴ入りガムテープとプチプチを剥がして、ロビーでフロアポンプでタイヤに空気を入れてから、那覇市内のホテルへ向かって清志郎さんたちはスタートして行きました。炭酸ガスカートリッジは、那覇市内の沖縄輪業に行って調達してホテルへ戻りました。

 

翌日には松永店長も着いてライドのスタートです。ツールド沖縄で使っている本島の北部を1周すると、名護市発で200kmくらいあります。やんばるのあたりの地図をコンビニでコピーしてきて、走るコースを決めました。ところが、縮尺の部分がコピーできていなくて、1cmの距離を間違って、距離を計算していることに気がつきませんでした。気温は25度くらいで湿度が高くて汗がダラダラです。氷と飲み物を用意しました。ショートカットして山越えしたにも関わらず、いつまで走っても名護市に着きません、カーナビを見ると、なんと距離にズレがあることに気がつきました。もうすぐ3時になってしまいます。お腹も減ってきました。坂を上っていると垣根の向こうにダチョウがいっぱい歩いていて、そのダチョウ牧場にレストランがあったので、ダチョウの赤身のステーキと、10人前という巨大な目玉焼きを食べて、ライドを切り上げて那覇に急いで帰ることになりました。

 

予定のコースを完走できなかったのは、コピーした地図の縮尺を間違えて、時間を読み間違えた僕のミスでした。早く帰らないとコンサートのリハーサルの時間に遅れてしまいそうです。波乱の沖縄ツーリングは返還記念のコンサートのパート2へ続きます。沖縄はそれ以来、清志郎さんにとって色々なアクシデントが起こる場所になってしまいました。沖縄ツーリングは完走できないというジンクスが生まれました。ビーパルの取材ツーリングでは、NHKのドラマの撮影途中だったのに、なんと辺戸岬で鎖骨を折るというアクシデントも起きています。ではでは。