クマさんのバイク専科

底辺のないスポーツのもろさ!

マラソンはジョギングなどを楽しむランナーという広い裾野があるスポーツ人口が、いつかは42.195kmを走って見たいという憧れがあって、その頂点にマラソンというイベントだったり競技があります。日本陸連は陸上競技の選手のプロフェショナルとアマチュアのカテゴリー分けを曖昧にしています。プロ宣言ばプロだという認識でいいようです。つまり、陸連主催の公認大会には、プロ選手と実業団選手とクラブチーム、市民ランナー(アマチュア)が混走する分けです。

 

プロ選手はスポンサー契約ができて、スポンサー料を受け取れて、商品名やチーム名をユニフォームに表示できます。肖像権が認められ、JOCと電通が作ったオリンピックキャンペーンへの使用が制限されて保護されます。一方で、メダルや入賞の可能性があるJOCの強化指定選手に入っても、補助金を受け取れなくなります。競技団体によっては、オリンピック出場ポイントを獲得する海外遠征も自費になることがあるそうです。

 

日本陸連公認の主要レースの場合は、海外招待選手、国内招待選手とそうでない選手がいたり、参加標準記録を公認レースでクリアしたり、大会によっては順位でピックアップされた選手が参加できます。そのほかにも年齢別カテゴリーがあるレースもあります。持ちタイムでカテゴリー分けされる場合もあります。距離もフルマラソン、ハーフ、クオーターなどがあり、体力に合わせて選ぶこともできます。走るという意味では、クロスカントリー、トレイルランニング、クロススポーツ、100kmを走るウルトラマラソンのようなエンデューロもあります。

 

とにかく走るという共通点で結ばれていて、ランナーという広い裾野を持ったスポーツで、細分化はしていますが、広く認識されていて、誰もが自分の体力や気持ちに合わせて、自分のスタンスに合わせて取り組めるスポーツです。だから、1つの大きなスポンサーが無くなろうと、ランナーは走るのを止めません。日本人選手が近年総合優勝したレッドブル・エアレースですが、健康飲料ブランドのレッドブルが3019年で撤退と同時にレースが開催されなくなります。世界から選ばれたパイロットが特別に開発された機体を持ち寄って、トリッキーなコースで操縦テクニックとタイムを争う世界選手権をかけたシリーズ戦でした。

 

撤退の理由は広告媒体としてのコストパフォーマンスです。レッドブルはF1の有力チームへのスポンサード、各種のエクストリーム系スポーツへのスポンサード、スタジアムモトクロス、スタジアムジムカーナ、コンサート活動など、広く広報活動を行っています。その中でもエアレースはエリートパイロットのみが出場する特別なスポーツでした。レッドブルが作った競技スポーツエンターテインメントとも言えます。その支える底辺としてはエアレースファンということになります。観客動員数もスポーツコンテンツとしての視聴者数も伸び悩みました。日本での地上デジタル放映はNHKが担当していました。

 

小型飛行機を操縦できるライセンスを持つ人たちは欧米でも少数派ですから、やるスポーツではなく、見るスポーツでした。競技人口も限られているので、同じ目線で支える底辺のほとんどないスポーツと言えるでしょう。メインスポンサーのレッドブルが作り出したに等しい究極のスポーツだったので、メインスポンサーが撤退するのと同時に、このジャンルの競技シリーズは消滅します。参加していたパイロットや飛行機の整備や制作をしていたクルーはどうするんでしょう。

 

IOC や開催都市が協議して決定する。オリンピックの実施スポーツについても、IOCJOCの思惑はともかく、歴史的な推移を見ても絶滅危惧種がいくつもあるような気がします。クレー射撃、ピストルのラピットファイヤー、ライフル射撃、近代五種、乗馬、ダイビング、棒高跳び、カヌー、ボート、これらのスポーツは、取り組んでいる国や人には申し訳ないけど、一体、競技人口は世界で何人くらいいるのでしょう。その競技を支える土台に当たる愛好者や競技登録している人口は何人いて、オリンピックの正式種目に採用するほどの何があるのでしょう。

 

ダイビングやシンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)や、競泳やトライアスロンだって、プールのある豊かな国が主流のスポーツです。日本を除いたアジア、南米、アフリカ諸国の競技者はレアケースです。オリンピックへの出場権に関係するワールドシリーズや世界選の出場だって大変なお金がかかります。大陸別のレースでもポイントを獲得できますが、公平なチャンスが各国の競技者に与えられているとはいえません。

 

高い機材を使う自転車競技はオリンピック種目としては古い歴史があります。でも、UCIの発行するツールブックには、ついこの間までローカルルールという項目がありました。統一されたルールを実施できない地域では、レースで採用しなくていいというものでした。グローバルなスポーツ人口という意味では、ちょっと問題ありありな気もします。北米、オセアニア、ヨーロッパ圏では1国で年間に100レース以上が実施されていますが、アマチュアの登録競技者も減少していて、プロレースも衰退し始めています。

 

東京大会で復活した、野球やソフトボール、空手の組み手や型を取りやめるフランス大会。スポーツって何のために、誰がやるのか?。何でオリンピックのメダルの獲得のために、人生の一番楽しい時期を強化のために過ごすのか。世界各国のオリンピックの価値と、日本での価値。スポーツに取り組む意味とかを、ビッグビジネスとかいう経済効果や、心理的な重圧から解放されて、頭を冷やして個人と競技団体、開催都市、IOCJOCのメリットとデメリットを考えてみる時期がきているのでは。

 

みんなが取り組めるメジャーなスポーツだけが重要だとは思わないけど、一部の豊かな国だけが取り組める、貴族のみとか、兵士の訓練の延長線がスポーツ化された競技が、これからもオリンピック種目として生き残るのは、いかがなものかな。オリンピックこそ競技種目をスリム化して、採点種目を取り止めて、タイムや距離や得点など、数値の差で競う競技だけに絞っていいのでは。アーティスティックインプレッションで得点が変化する採点種目こそ、採点審判のレベルが高い、世界選手権で競えばいいのではないかな。

 

1964年の東京オリンピックから採用されている柔道もJYUDO

になってからは、レスリング、柔術、古武道、モンゴル相撲、サンボなどの技とパワーが融合したものに変わっています。日本人が知る、講道館が作り上げた、一本を取りに行く柔道ではなくなっています。ポイントを稼ぐJYUDOだったり、力と技を合わせた1本狙いや有効狙いのメダル獲得のための競技になっています。特にお家芸と言われる日本の選手は、金メダル以外は価値がないと言わしめるほどの金メダル至上主義になっるのも気になります。

 

実際の畳の上では2人の選手が対峙して、主審がいたり、副審が旗を持って審判をしていますが、この人たち国際審判のレベルがバラバラです。仕掛けた技を返しているような場合や、背中が返ったかどうかの1本や技ありの見極めなどの、きわどいシーンでは、主審の判定が畳の上で下されても、ブースでビデオをリプレイして精査する審判のサゼッションが有効になることが多いのです。有効打の判定という意味ではアマチュアボクシングの判定ほどわかりにくいものはありません。ダメージではなく、拳の正しい場所が、しっかりコンタクトしたか、その手数が多いかが攻撃の判定の基準になります。プロとは違った判定となります。判定はホントに難しいですね〜。

 

莫大な資金投入をしてくれてこのジャンルを構築した、ビッグスポンサーが作ったアルチメイトなスポーツは、ビックスポンサーの撤退と同時に基礎地盤を失って、まさにエアレースとして消え失せることになりました。スポーツを支えるスポンサードがこれほど脆く、競技大会が消滅すると同時にスポーツのジャンルを滅ぼしてしまうケースを目の当たりにさせられました。NHKがジョイントしてプッシュしていただけにショックでした。果たして、他のスポーツは大丈夫かな。

 

オリンピックは各国の放送媒体からの放映権料の徴収や、オリンピック公式スポンサー料の徴収で利益を得て、各競技統括団体や各国の競技団体に還元しています。IOCは若者のオリンピック離れを警戒しています。将来の放映権料をもたらす視聴者だからです。見る人がいなければコンテンツを買ってもらえなくなりますから。サーフィンやスケートボードなどの正式競技採用は、その対策と言われています。果たしてそれで歯止めがかかるのかな。ではでは。