クマさんのバイク専科

スイムのエリート街道爆進だったのに!

いけい選手が担当医師の許可を得てプールで泳いだことをSNSに公開した。ガン治療後は免疫力が低下しているので、最初は滅菌状態の部屋で暮らすことになる。体力が回復して免疫能力が高まって来ると一般病棟へ移されるのだが、激しい運動は免疫力に影響するので検査を受けながらの運動許可へ移行していくことになる。最初に許可されたのは陸トレだったようだ。いけい選手は東京オリンピックの競泳日本代表にもっとも近い存在と思われていたが、体調不良を感じて診断を受けると、再生不良性貧血、血液細胞のガンを宣告されて、しかも急性という診断で、すぐに治療に入った。

 

K1ファイターだったアンディー・フグ選手も体調不良を感じていたが、極真空手で鍛え上げた体に自信があって病院へ行っていなかったそうだ。K1リングドクターの中山先生がアンディーの異変に気付いて、融通の利く総合病院に緊急の精密検査を依頼して、再生不良性貧血の急性と診断されたが、病気の発見が遅くなって急遽治療を施したが血液ガンの進行具合に間に合わず、発見から間も無く亡くなっている。

 

いけい選手の場合は脊髄の移植より、抗がん剤が効果的に効くガンという診断が出て、放射線治療も併用するという。忌野清志郎さんの咽頭がんの時も、声に影響するので外科的手術を避けて、ガン専門病院の診断を受けて、抗がん剤と放射線の照射という治療が選択された。ガンもいろいろな特性がある。治療方法の選択で5年生存率や社会復帰など、治療結果が大きく違ってしまうらしい。

 

腫瘍が良性か悪性かの判断があって、最近ではガンと診断されると、がん細胞が採取されて遺伝子解析が行われて、ガンの特性を特定して治療方針の決定の参考にしている。外科的手術で取り除くのが最適なのか、重陽子線治療が効果的か、放射線照射が最適なのか、この抗がん剤がこのガンには効くという判断ができるようになって、ターゲットを絞ったオーダー治療が可能になっている。がん細胞にのみ抗がん剤が集中する通常細胞へのダメージが少ない方法も開発されて実用化されている。

 

昔のように、抗がん剤をカクテルして、どれかが効くだろうという、正常細胞へのダメージが大きい乱暴な治療は行われなくなっている。

放射線照射治療も照射範囲も限定できるようになっているし、照射時間や間隔も念密にスケジューリングされて、ダメージの軽減や治療効果が追及されている。治療方法を選ぶ段階で徹底したインフォームドコンセントが主治医から行われるのが原則になっている。

 

でも、お医者さんも人の子、ガンの専門医といっても、オールラウンダーではない。部位や治療方法による得意分野があるので、外科手術を得意とするテクニシャンもいるし、最先端医療の照射範囲をより限定化して通常細胞へのダメージを少なくできる重陽子線照射治療、改善された放射線照射治療、抗がん剤の種類や適応するガンの選抜など、それぞれ深い知識と経験とテクニックが必要なので、ガンの専門医といえども得意不得意があるようだ。

 

いけい選手は幸いなことに、ガン治療を受けて回復の傾向になって、免疫能力も高まってきて、軽い運動を再開したり、本業のスイムに取り組み始めている。抗がん剤治療と放射線治療は、どんなに慎重に治療しても、細胞レベルでダメージを受け、白血球量が低下したり、免疫能力が低下して、細菌やウイルスの影響を受けやすく危険なのだ。髪の毛が抜けたり、臓器もダメージを受けて、食欲がなくなったり、味覚を失うこともあるし、口内炎が発症したり、筋力も心肺機能も低下して、思ったように体が動かせなくなる。

 

咽頭ガンの治療を受けた清志郎さんは、髪の毛が無くなっていて、ニットのキャップをかぶっていた。僕も高校ラグビー部以来の坊主頭にして会って、お互いの頭を指差してニンマリと笑いあった。放射線治療から1週間以上経っていたが、ものすごい倦怠感を感じていたようだ。それでもロックンロール研究所に保管している新車のオレンジ2号に乗って、代々木上原の坂を上って帰って来た。「路肩をフラフラ走っただけなのに、脚に乳酸は爆発的に発生して、ダメージはすごかったよ、体が重くて動かせない。呼吸も苦しくて酸素を体へ取り込めない」というのだ。脚や腕の筋力も落ちていて支えられないという。

 

それでも、武道館での復活コンサートへ向けてオレンジ2号で走っていたようだ。今日はこうだった、息が続くようになったとか時々電話して来た。10km、20kmと走れるようになって、筋肉が硬直していると連絡があれば、ストレッチやマッサージに行って、硬直やむくみを解消した。室温に調整したビールが清志郎さんは大好きなのだが、この時期は主治医の言うことを聞いて、サーバーで落としたてのコーヒーを飲みながらロックンロール研究所で過ごした。

 

武道館での復活コンサートや、その後の全国ツアーへ向けて、清志郎さんは、元気だった頃の走りを求めて、LSDに取り組んで心肺機能を取り戻すことに取り組んでいた。細胞内にある酸素を摂り入れてグリコーゲンを分解して運動エネルギーのATPを作る有酸素運動だ。ミトコンドリアの能力を高めないといけないので3ヶ月くらいの時間がかかる。LSDトレーニングは低い運動強度で地道な積み重ねが重要だ。思ったように走れなくて、どうしたらいいんだと焦っていることもあった。

 

歌うにはLSDレベルの運動が2時間以上続けられないと、歌って踊ってのワンステージをこなせないことを知っているのだ。その前には同じ時間のかかるリハーサルも待っている。音響のチェックや、バンドメンバーとのセットリストに合わせた音合わせが行われるのだ。思ったように動かない体を動かしてオレンジ2号で走りこんでいた。輸出入禁止になっている貴重な重い木で作られたビンテージギターのJ200を弾きこなせるようになったし、呼吸が楽になったと連絡があったのは武道館の日が間近になってからだった。

 

いけい選手もこんな一進一退の自分の体と向き合いながらの回復段階を過ごしているはずだ。自分にしかわからないこともあるので孤独感もあるだろうけど、主治医もコーチもファンも支えてくれている。自分の調子の良かった頃のイメージが脳に残っているはずだし、気持ちのアップダウンを繰り返しているはずだ。目の前のオリンピック開催を思えば悔しいだろう。フランスのオリンピックを目指すという明確な目標も表明している。体の回復だけでなくメンタルの維持が大変だろう。

 

陸トレも水中でのトレーニングも、思ったようにいかないのがガン治療後の実際の状況だろう。若い選手だからこそ、そんな自分と上手

に付き合って欲しいな。焦って負荷をかけてナチュラルキラー細胞にダメージがないように、ぼちぼち取り組んで、定期検診をしっかり受けて、再発に注意して、少しずつ昔の自分へ近づいて、2024年のフランスでの目標を達成してくれるといいな。ではでは。