クマさんのバイク専科

「ぶぶ漬けでもいかがどすか?」

京都の老舗のサイクルショップへ取材に行って、絶頂期のデ・デローザを見せてもらって、手入れも行き届いていて、大切に扱われているし、タイヤを見ればクレメンのカンピョニシモセタエキストラで、21、5mm、230gという軽量で、最高にしなやかなタイヤがはかされていた。雨の日に走るとバイアスに重ねられた絹コードがばらけてしまうほどのデリケートなタイヤだが、乗り心地へのこだわりがこれだけでわかる。

 

店主の愛車で、サイクリングへの思い入れが現れているこだわりの一台だと思った。やっぱりロードレーサーはいいなと、思いつつ、こだわりが半端じゃないことがひしひしと伝わって来た。京都のサイクルショップとしては歴史のあるお店だが、ロードばかりでなく、イギリスタイプのクラブマンとか、サドルバッグ装備のツーリング車や、フランス風のランドナー、東叡社のランドナー、神田にあったアルプスの輪行自転車の代理店でもあった。

 

そしてこの店主のツーリング好きは知られていて、京都盆地の周りはパスハンティングの最高のフィールドだ。道は結構険しく、京都を出ようとすると、どちらへ走っても峠を越えてのツーリングになる。店主はそれをペン画で描き残している。ただ突っ走るだけではないツーリングを嗜んでいるのだ。毎年いただく年賀ハガキはいつもペン画だった。

 

その頃はバンクでクランクを回し切った感を追い求めて、ピストで突っ走ることばかりに取り組んでいたので、のんびり京都を楽しむことなんか考えてもいなかったので、ゆとりを持ったツーリングを楽しんでいるベテランサイクリストの話を聞けてとっても勉強になった。それ以来、国土地理院の5万分の1の地図を東京駅の前にある八重洲ブックセンターへ買いにいって、ツーリングの帆布製の小さなフロントバッグに持って、冬の十国峠や大弛峠などを走るようになった。

 

その店主にいい民宿があるよと紹介されたのが、二条城近くの羊小屋という宿だった。電話予約を入れてくれて、トコトコ暗くなりかけの京都の街を歩いて行くと、1階は年季の入ったのれんが下がっていて、ガラガラと分厚い木で作られている重い引き戸を開けると、暖色系の電球の光の間接照明で薄暗い部屋で、カウンターがあって木の丸い椅子が置いてある居酒屋さんだった。

 

なんの説明も受けていなかったので、間違えたと思ったのだが、自転車屋さんから連絡をもらった人かなと声をかけられて、間違いじゃなかったことがわかった。枕木が敷き詰められたデコボコした床を歩いてお店に入り、「まあお座りなさい」と言われるままに、ここのシステムを長々説明された。

 

まず民宿にはお風呂がないので、近所の銭湯に行ってくれというのだ。チケットを渡された。次は夕食と朝食のお話し、ここの居酒屋さんで食べさせてくれるという。朝食もここで食べられるという。お店を紹介するから、他で食べてきてもいいという。もう7時に近いのでこれから出かけるのも面倒なので、ここで食べさせてもらった。

 

メニューはマスターお任せにして、お酒は飲めないので、前菜に始まって、お惣菜やステーキなど5品にご飯と味噌汁が付いて、二千円という安さで美味しかった。朝ごはんも充実していてここを選んで良かった。急な階段も部屋も枕木で作られていて、畳の部屋で布団が敷かれていた。部屋で寝転がっていると、下の居酒屋のマスターが僕を呼んでいる。京都に宿を訪ねてくるような知り合いはいないし、泊まる場所も知らせていないので誰だろうと思った。見たこともない顔だし、名前も知らない人が枕木の床へ立っていた。

 

小脇に5万分の1の地図を抱えていた。老舗のショップの店長に聞いてやってきたのだという。なんの連絡も無しに一向だ。だけどショップの店主の紹介なら無碍にもできないので、とりあえず話しを聞くことにした。居酒屋さんで少ない座席を占領するのも悪いので部屋へ招き入れた。全くの初対面だけど仕方がない。この人は何を話しに来たのだろうか。早速束になった5万分の1の地図を畳へ広げて、赤い線の入った自分の走った京都と周辺の道を説明し始めた。申し訳ないけど地名も知らないところだらけで、この人何しに来たのとポケーっと聞いていた。

 

話を聞いているうちに、地下足袋でサイクリングしている人の噂を思い出した。雑誌に紀行文を投稿している人ではないかと確信した。思い込みの激しい人で、自分の興味のあることはみんなも興味があると思っている節がある。夢中になって説明しているのだが、興味がわかない。

 

もう眠くなって来た、情熱はわかるけど、突然宿へ押しかけて来て、2時ごろまで喋り捲って、満足して帰って行った。おしゃべり暴走族のようなものだ。翌日、サイクルショップの店長に訪問者があったことを告げると驚いていた。あの人の相手じゃ大変だったでしょうと言われた。自己アピールが過ぎて、一緒に走るお仲間がいないんだそうだ。

 

その人は特別だと思うけど。京都人を長年相手にしてスポーツ車を販売しているけど。京都の歴史を誇りに思っいるし、そのひとなりのこだわりを持っていて、クラシックパーツのコレクターや、クラシックバイクのコレクターもいるという。レストア専門のショップや、JOSのランプのコピー商品を製造するメーカーなどこだわりのお店やフレーム工房があるという。対応するのは大変だけど、信頼関係を結べれば長いお付き合いになる人が多いという。京都人とのお付き合いは奥が深そうだな〜。「ぶぶ漬けでもいかがどすか?」と声をかけられないうちに東京へ帰ろっと。ではでは。