クマさんのバイク専科

プロムナードで山道を走っていた!

飯能から正丸峠までの舗装路を軽快に走るならロードレーサーだった。当時は正丸峠を超えて、秩父市の往復を走るのが定番コースだった。鎌北湖から激坂を登って顔振峠に出て、平九郎茶屋の前を通って、奥武蔵グリーンラインを堂平山や小川町に走るコースも好きな道だった。今では快適な舗装路だが、当時は砂利道やブルトーザーで山を削っただけの未舗装路だった。

 

元々の道は、戦国時代からあった人一人が歩ける尾根道だった。鉢形城の物見が使っていた道で、ほとんど知られていない、夏には草ぼうぼうで、藤蔓だらけで、下手すると谷へ落車する、簡単に走れる道ではなかった。昔の鎌倉にもシクロクロスで走る、同じような道があったが、観光客の邪魔になると現在は自転車は締め出されている。そこへいくと奥武蔵グリーンラインは車が多くなったが、まだ走れるからましだ。

 

だから舗装路の奥武蔵グリーンラインは結構新しい道で、その前は尾根道を通る険しい山道だった。ブルトーザーで切り開いたその未舗装路を、ロードバイクにクレメンのクリテリウムという21、5mmのチューブラータイヤで走っていたわけだが、道が険しすぎて、よく前後輪がパンクしていた。交換タイヤが無くなって、テクテク歩いたり、その場でタイヤを切り裂いてパッチを張って縫い戻して走った思い出がある。

 

アマンダスポーツがドイツから直輸入した、シクロクロス用のコンチネンタルのTプロフィールで走っていたのだが、アプローチの舗装路でも軽く走れたし、リム打ちパンクも減ったが、それでも時々パンクしていた。ここを走るには最低2本予備タイヤが必要だ。タイヤを開けてみてびっくり、ブチルチューブのモデルと、しなやかなラテックスチューブのモデルがあった。お正月の凍結した路面でも走れたのは、ラテックスもモデルだった。当時、宮田のリムテープがなくて、チューブラータイヤの張り替えの修理が大変だった。

 

張り付けてもリムセメントじゃその場では乾かないし、リムに残っているリムセメントじゃ接着力が心配だし、1度使ったリムセメントの残っている予備タイヤを2本用意したりした。ヴェロフレックスの両面粘着のリムテープでは接着力不足で、現場でパンク修理すると、オフロードも舗装とも全開で走れなくなるのだ。そこでWOタイヤのオフロード走り専用のバイクを作ることにしたのだ。

 

650Bの42Bタイヤのランドナーばやりだった。選んだ車輪は650Bの35Bだった、26インチのホイールだ。36本スポークのタンジェント組み、リムはフランスのスーパーチャンピオンだ。タイヤはウオルバーのスーパーランドナーだった。組み合わせるチューブはブチルだ。今のグラベルロードのタイヤに近いトレッドパターンタイヤで、タイヤサイドもゴムでカバーされていた。この組み合わせは超強力だった。入間川の25cmくらいの石がゴロゴロしている河原でも難なく走れて、リム打ちパンクもなく、リムの振れも出なかった。

 

もちろん奥武蔵のオフロードへも持ち込んだ。クロモリのイシワタ022のバテッドチューブで、クロスドシートステーで補強した、足つき性を考えてスローピングフレームで、深い曲がりのベンディングフォーク。470m m幅のフラットバー装備で、CLBのオポジットレバーを取り付けた。変速レバーはサンツアーのサムシフターというラチェット入りだ。ギヤはフロントが47―32で、フリーが14―28の組み合わせだった。サドルはアンリゴーチェの女性モデルだった。これでどこでも走った。

 

ブレーキは大きなクリアランスを取れるサイドプルでストッピングパワーは大きくなかったが、泥詰まりはしなかった。フロントには釣り道具屋で手に入れた藤蔓で編んであるビクを改造して3本の革製ストラップで取り付けた。最初はマビックのマッドガードを取り付けていたのだが、オフロード走りで草や蔓を巻き込んで危険なので、外して持って帰った時からそのままになった。

 

30mmを超えたタイヤのエアボリュームは偉大で、3気圧から5気圧の設定でショック吸収性も快適で、このバイクでリム打ちパンクがなくなった。ほとんど山から落ちてくるような走りで、MTBが誕生するまでオフロードで乗っていた。ほとんどのバランス系と、ショック吸収するテクニック、タイヤが滑ってもコントロールする感覚はこのバイクが教えてくれた。

 

MTBが登場した時も、よりオフロード走りの性能を高めたバイクとしてすぐに理解できた。最終段階のプロムナードには、ロックショックスのオイル&エアーのフロントサスペンションを付けて走っていたので、まさに初期のXC系のMTBだったのだ。カリフォルニアのオレンジカウンティで、MTBがクランカーから、脱皮する時期に立ち会った時に、スケールの大きいオフロード地帯が、奥武蔵のあの物見山のオフロードコースとオーバーラップした。フィールドが快適に走れるバイクを導き出したのだ。

 

26インチの太いタイヤ、だいたい50mmから60mmになって、オフロードでの走破性は格段に向上する。最初は太い単純なキャラメルブロックだったが、パナレーサーのティンバック2のようにだんだん路面をしっかり捉えるパターンに変わり、前後輪でトレッドパターンも変わった。ブレーキもカンティレバーから、Vブレーキ、油圧のディスクブレーキへとストッピングパワーもスピードコントロール性能も向上していく。

 

オフロードの高トルク状態で、しかもオフロードの泥などの影響も受けながらの変速は、アップダウンをこなすためにワイドギヤになっても、スムーズな外装変速機システムの実現のために、チェーンリングやフリーの歯先形状やスパイクピンの配置などのコンピュータデザインなどの採用で、変速性能も格段に向上させた。それは今でもロードコンポーネントにも波及している。

 

フレームチューブもオーバーサイズクロモリ、オーバーサイズアルミ、カーボンモノコックへ進化して、フロントサスペンション付きになり、リヤも架空ピボットや、踏み込み時にロックするサスペンションを採用のフルサスへと発展する。ショック吸収システムもエラストマーだけでなく、オイル&エアーも採用されたり、ロックアウト機構も組み込まれるようになっている。

 

フルサスの電動メカ装備などにも乗っていたが、自分が操っているのか、メカにやってもらっているのか、XCモデルでもわかりにくくなったが、もうDHモデルに至っては、サスペンションストロークがフロントもリヤも、ライダーの能力をオーバーザトップしてしまうところまで到達していると感じた。それは確かにすごい走破性を持っているけど、野山を走るとすれば、フロントサス付きのXCバイクか、リヤにショートストロークのサス付きのリッチーのようなやつがいいなと思った。人間が操っている感たっぷりなモデルだ。ではでは。