クマさんのバイク専科

根性は日本人だけのものじゃない!

久々の東京、最近のコーチ理論を勉強に行って驚いた。コーチも親も、怒っちゃダメなんだって、いきなりのアングリーコントロールが重要なんだという話から始まった。感情的になって、上の立場から怒っちゃダメなんだって。確かに世の中的にはパワハラとか問題になっているけど、コーチングはアドバイスとか、意見や感じていることを言い合ったり、対等な関係だと思っていた。メンタルタフネスを教えてくれるトレーナーの先生が、コーチが怒っちゃダメなんだって。そうなのかな〜。叱るんだって。

 

最近の選手は、コーチ、フィジカルトレーナー、スポーツドクター、動作解析、スポーツ栄養管理士、スコアラー、戦略担当、メンタルタフネストレーナーなどがチームを作ってサポートしている。中には自分自身でコーチ無しで戦っている選手もいるし、選手自身が動作解析の研究者という場合がある。画像解析によるフィードバックが必要なことも、VO2MAXや血液検査などのメディカルチェック、バイオメカニクス的な科学的なアプローチが重要なことも知られているから、コーチのカンピューターだけでは通用しない時代になっていることも確かだ。測定したデータを生かすインターフェースは人間なのだ。コーチには何でも聞けるし、教えてくれる。でもその前に選手自身が考えろ、考えれば色々迷うし、そこでヒントをもらえれば気づくことも多いのだ。考えないで教わっても吸収できるものは少ないというのは納得できる。

 

叱るのこそ上の立場から言っているような気もするし、言葉遊びのような気もする。僕はコーチだって人間だから、真から怒るべき時は怒った方がいいと思っているので、参考になる部分もあったけど、講義の内容を丸々は納得できなかった。コーチは感情に流されることなく、選手の心理を察して、叱らなければいけないのだという。だけど腫れ物に触るような対応でいいんだろうか。本当にそれで伝えたいことが通じているなら、こうはならないんじゃないかと思った。

 

僕自身は最小限の努力で強くなりたいタイプの選手だった。だからLSDトレーニングとかが苦手だった。速くなりたいとスプリントを繰り返したり、クリテリウムばかり走っていた。耐乳酸トレーニングやパワー系を信じていたバカだから、不安定な土台しかないから好不調の波が激しく、わかっちゃいるけど積み上げるゆっくり走るベース作りのトレーニングに取り組めないのだ。速く強くなる小手先のノウハウなんてありゃしない。自分でつかんだこと、気づいたことが全てと言っていい。

 

現役のヨーロッパプロチームの選手だった浅田選手と日本人選手の強化について、ヨーロッパの選手との差を縮める方法を、しみじみ話したことがある。とにかく器の大きさが違いすぎるのだ。徹底的にLSDトレーニングを走り混んでいて、心肺機能をとことん開発しているのだ。毛細血管が発達するまで、最低でもパフォーマンスアップに3ヶ月かかるトレーニングだ。日本人選手がシーズン行くと、毎週2レース走って、間は回復走とLSDだけで過ごすので、いきなり参加した日本人選手は、疲労が蓄積してどんどん走れなくなる。

 

ヨーロッパの選手は16歳から、こういうルーティーンでシーズンを過ごしているので、タフになっていたり、どのレースで頑張るべきか考えてコンディショニングしている。シーズン中に筋トレなんて余裕はない。レースそのものがレースで使う筋力を鍛えるトレーニングそのものだ。日本で一定の負荷で走り込むのは難しいのかもしれない。齢に合わせて、走り込みの距離の目標があって、グループライドしていても、コーチもみんなも重要性を知っているので、運動強度を低く保って、グループライドをこなしているのだ。

 

このトレーニングの重要さを知っているので、心拍計やパワーメーターで厳密に運動強度を管理して走っているのだ。16歳から23歳くらいまでは、トレーニングの70%がLSDレベルという。アマチュアのレース距離が150kmくらいまで、プロになると150kmから180kmくらい。長いレースでは240kmくらいだ。心肺機能が極限まで開発されていないと、走り切れない。

 

浅田選手が指導していた選手たちでも、日本人選手はLSDの大切さを知識としては知っていても、時間がかかり、スプリントもしないのでやった感が乏しく、効果が分かりにくいトレーニングなので、なかなか真剣に取り組まれていないのだという。チームメンバーでグループライドになれば、想定された運動強度をオーバーしがちなのだ。時速30kmで4時間LSDできれば、ヨーロッパのエリートで通用するのに、そこへ到達していないから、スピードにも付いていけないし、1回ハードな展開になると回復できなくなるというのだ。どんなレースでもアタックが繰り返されるので、後方待機型のレースなんてあり得ない。プロへの登竜門だからノーアタックノーチャンスなのだ。

 

基本的にベーストレーニングが足りていないのに、チームプレーとかアシストとか日本でのレース経験に基づいた頭でっかちなことを言っていても、そういう状態でヨーロッパに連れて行って、年齢や実力を考えてレースに出場させても、上に這いずり上がるために、目立ってなんぼという、超積極的レース展開にまず驚く、このアタックはいつ終わるんだろうと思うほどに続く。集団で走れないとか、逃げ集団に絡めないのだから、いつまでもヨーロッパ流のレース展開も理解できないし、何をすればいいのかも体験できない。短期間では心肺機能は改善できないので、レース経験をさせようと思って、毎週2回のレースに出ても、ちぎれてグルペットになったりで手の施し用がないという経験しているという。

 

浅田選手は、雑誌もいけないんですよという。ホビーレサー向けに、小手先のテクニックを教える情報が氾濫しているというのだ。雑誌で見たこと、どう意識するかが紹介されていることは、そのフォームやペダリングを身につけるメソッドを積み重ねて、そのフォームをキープできる筋力を作り上げて、イメージを掴むヒントに過ぎない。知ったらすぐにできるようなことは大したことじゃない。筋力は3ヶ月、神経回路は3ヶ月。このくらいのスパンは必要なのだ。LSDが軽視される傾向はこういうところからも生まれるのだという。大きな容量のエンジンをコツコツ作っていくことを見直すべきだというのが結論だった。

 

選手は個性があるのは嫌という程知っている。メンタルトレーナーが心理分析してくれるようなパターンにはまるケースこそ稀なのだ。それは学問とか、理論とかじゃなく、ありえないような現実が複雑に積み重なって、現実の選手として目の前に生きているのだ。有名なすごい先生らしいが、そうは言っているようには類型できないよ。個人でトレーニングしているライダーは、LSDトレーニングを軽視しているライダーがいる。時速30kmのLSDトレーニングが4時間できたら、ロードレースで活躍できるほど重要なのだ。追い込むトレーニングの効果を重視しがちなのだ。

 

僕は少なくとも一緒にトレーニングしたり、トレーニングプログラムの相談を受けた人とのコミュニケーションは、一人一人違っていたなーという印象が残っている。この選手にはどう伝えたらいいかな〜と悩む。自分で勉強する選手、自分で考える選手もいるけど、コーチからトレーニングプログラムを与えられて、激励を受けながら苦しい練習に取り組めば強くなれると思っている選手も多い。逆に弱くなったのもコーチのせいだとなりがちです。それは、男性アスリート、女性アスリートに限らず、性格も、体力も、才能も、心も違う。類型なんかできるものじゃなかった。

 

一番衝撃的だったのは、アスリートとして強くても、人間の弱さだった。それは、ある程度の栄光を掴んで、スポーツエリートを経験したほど内飽している可能性が高いのだ。おごりとか強がりというようなものじゃない。ある程度のレベルまで達した選手は、誇りもあるし、自分はこれが得意だ、頑張ってきたという自信も持っている。コーチの助言を受け入れて、自分で考えて組み立てて行く。というより、活動資金さえ確保してあげれば、言われなくてもさっさと自分のやるべきことを見つけて頑張っているくらいでいいんだ。

 

だけど、世の中を俯瞰してみたら、そのスポーツの世界で優れているだけで、周りがちやほやしてくれるし、スポンサードも受けて経済的にも豊かになっていることもあるかもしれない。同じスポーツをやっている人から、1目置かれているだけなのだ。現役を引退してからの方が長いのだし、指導者になるにしても、選手目線の引き出しに、コーチ目線の引き出しも作る必要があって、スポーツのコーチには、そのスポーツの経験や一流選手の経験の無い人も、コーチや監督になっている人がいるくらいなので、一流選手だって引退してからが勝負なのだ。

 

スポーツを極めると、どんなスポーツでもトップに立つのは、楽しいだけでは到達できない。肉体的な才能のある選手が、コーチと出会って、指導を受けて日本のトップまで上り詰めると言うことはある。でも、そのコーチがいなくなったら、選手は強さを維持できるのか。戦うのは選手自身だし、一人で戦うのだから、自分で考えてステップアップできる選手に育っているだろうか。ギリギリのところで、いつも自分で考えるように仕向けていた。「大丈夫だよ」と言うだけの頼りないコーチに思えたろうな。

 

スイミングスクールは、小さい時からエンジョイスポーツ派とコンペティション派に別れる。ジュニアオリンピックと呼ばれる舞台が用意されて、ジュニア卒業とともにシニアの世界が待っている。日本が競泳で強いのは、こういう底辺が存在しているからだ。競泳選手のピークパフォーマンスを見ると、14歳ぐらいから25歳ぐらいだ。14歳でビジョンを描いて、トレーニング理論を学んで遠回りしないでトップに到達できるのか。小さい時からコーチのプログラムにしたがってやっているので、指示待ちの選手が多いけいこうがある。選手の思考回路の発達とともに、コーチもサポートの方法が変わるはずだ。コーチの指示に従って強くなれるのには限界がある。体だって気持ちだってどんどん変わるから、その時に必要なものがどんどん変わるから、理想に近づけるトレーニングが変わって行く。

 

昔は根性があるとか無いとかが語られていたが、才能がある選手というのは、日本人でも外国人でも、スポーツに取り組む強い気持ち、根性はあることが前提で、世界のトップを目指そうと思うような選手は、才能、根性、負けず嫌いに、積み重ねる努力が積み重なった上に、自分で考えることも加わって、突然パフォーマンスアップしたり、じわじわと力をつけたりするのだ。筋肉の有酸素系の特性が変わるのに3ヶ月、無酸素系は2から3週間。骨格が入れ替わるのに2年、その変化を体感できる選手も楽しいはずだが、その途中では苦しい思いもしているはずだ。パフォーマンスのブレークスルーが明日始まるかもしれない。

 

地道に積み上げることがいつまで続くのか、強くなりたければ、効果が目に見えようが、そうでなくても、現役でいるためには続けるべきことなのだ。エリートクラスを体験したアスリートでも、挫折を味わうことがある。同じスポーツをやっているのだからこそ、相手の凄さがわかるのだ。このままじゃ太刀打ちできないと感じ取れてしまうのだ。だけど、自分はその世界で生きていきたい。しかし、一旦叩き潰されると、なかなかモチベーションは高まらない。同じケガや失敗を繰り返す選手は警戒する必要がある。

 

それでもそのスポーツ、その世界を離れる決断はできないものだ。ましてや日本のトップテンに入っているクラスの選手は、なかなか決断が難しい。抜いてやろうというリスタートに踏み切るほどの、苦しいのがわかっていることへチャレンジするほどのモチベーションも簡単には生まれないのだ。根性とかではなく、同じアスリートだからこそ、諦められない差を感じ取ってしまうことがあるのは事実だ。

肉体も心も金属疲労を起こすようなところまで追い込んでいる選手だからこそわかるのだ。だけど未練があるわけだね。

 

日本のトップ10、今の環境を維持していくには、周りにはトップを目指す、オリンピック代表を目指すとか言っていないと、ポジションをキープできない。本当は、もうそういうモチベーションや余力はかけらも残っていないのかもしれない、自分が一番わかっているので、体脂肪や体重の管理など地道で苦しい体調の管理もできず、コーチはそういうことを最初は指摘するが、できなくなっているのに、前向きなコメントをするので、裏切られたと思って怒るコーチもいる。

 

だけど、選手はもう戦うフェーズにはいないことに気づいてあげて、選手も精神的に苦しくなっているのだ。自分でどうするのかに気がつくまでそっとしておくのが一番で、精神的にも不安定になり、自分がどうすればいいのかわからなくなっている。根性とか、気持ちの切り替えなんてことでは解決できない、自分の取り組んでいるトレーニング内容や試合でのパフォーマンスを解析できていない、選手のいろんな意味で限界がきているのだが、周りの専門スタッフの意見を素直に聞けるようになか、納得して引退するしか無い。自分で考えて決めるしか無い。だけど、自分で考え抜いて決断すると、意外とスッキリするものだ。

 

自分の好きなスポーツの現役にしがみつきたいのはわかるが、モチベーションの無くなっている状態でしがみつくのは、ぬるま湯に浸かっているようで心地いいけど、自分が進化していた時代の爽快さは味わえないので、ちっとも楽しく無い。むしろどうなるんだろうという不安に苛まれることになる。現役を引退して、自分の経験して、考えてきたことを、次の世代に伝えて、遠回りさせないと同時に、自分で考えてチョイスできるようになるようにコーチングすることに、踏み込むと、なんだかスッキリして、生き生きする人がいる。それを言葉や態度で迷っている選手に伝えてあげようかなと思うこともあるけど、僕はぐっとこらえて気づくまで見守るようにしている。

 

こうゆう世界に飛び込む人には、才能も、努力も、根性もちゃんと備わっている。根性をつけるなんてこと、コーチにはできやしない。最初から持っているからこそ、こういう世界へ馴染んで、とびきりの才能の人が生き残って、自分で考えて、世界のトップへ駆け上がっていくわけだ。やるのは本人次第だ。苦しいのも楽しいのも、本人が知るのみ。コーチができることや創造することを現実に上回ってできるのだから。コーチなんて、そのブレークスルーに到達するためのヒントを与えているに過ぎない。育ててやったとか、思ったことなんか1度も無い。むしろ、才能のある選手に触れることで、コーチの経験という部分で育てられていると感じることの方が多かった気がする。ではでは。