クマさんのバイク専科

魂のこもった焙煎工場の前で黙祷させていただきました

 帰国してそのまま出版社へ行き、写真のセレクションが終わって、冷房の効いた部屋を借りて、週末のつくばを走るタイムのパーツ交換をしてポジションの変更をして、土曜日の朝、つくばへ外環自動車道を経由して、常磐自動車道でいつものとおり、余裕で10時につくばへ着けるはずでした。ところが、三郷で大きな事故があったらしく、草加あたりで約1時間動かなくなりました。後ろからはサイレンを鳴らしたJAFのトラックがやってきました。これは大きな事故らしい、3車線道路で2車線規制だそうです。もう10時到着を諦めて、谷田部で下りて、石下の団子屋さんへクルマで向かい、冷たいお抹茶とできたてのあん団子とごま団子を食べて、次は吉沼のコロッケ屋さんでメンチと男爵コロッケにソースをかけてもらって食べました。

 

外の気温は35度と熱風状態、日差しのある場所は路面が温まっていて、熱気がムーンと上がってきます。木陰の道を走ろうと思いましたが、つくばへ戻ってチェーンキャッチャーを取り付けることにして、つくばに着いてみるととんでもないことが!。スポーツバイクつくばマツナガで、珈琲倶楽部中山のオーナーが亡くなったと言う話を聞きました。まさかと思い珈琲中山へ行き、オーナーがいつも座っているカウンターのイスの前へ行くと、いつもの白い灰皿と、カップに珈琲が満たされていました。隣りの席へ座って、店員さんが熱いおしぼりとメニューを持ってきてくれました。なんだいるじゃないの!、ガセネタだったのかと思いました。

 

すると、カウンターの中の顔見知りの店員さんが、顔を曇らせて言葉を切り出しました。オーナーは先月の13日に亡くなりました。お客様を心配させないように、悲しませないように、病状は誰にも話さないようにしていたそうです。ボクは先月も来たし、今月も来けど、オーナーのクルマも止まっていないし、会えないなーと思いながら通っていました。ダンディなオーナーとの出会いは、筑波学園都市が発展する前の36年前のことでした。カロッツェリアオミノという高級な自転車ばかりを扱っていたサイクルショップがありました。そこへ首都高速と途中までできていた常磐道を乗り継いで、地図を頼りカロッツェリアオミノに着きました。前の道を隔ててあったのが珈琲中山でした。

 

調度品がヨーロッパぽくて、関節照明で明るさ控えめの落ち着く空間に、心地良さそうな何種類もの応接セットが店内へ備え付けられていて、静かで打ち合わせに最適な場所でした。薄手のクリスタルカップに美味しい水が満たされて、熱々のお手拭きが店員さんから手渡しされました。今と変わらないランチメニューが用意されていました。オミノさんがお薦めのハンバーガーと珈琲のセットをお願いすると、契約農家が育てた歯応えのある美味しい野菜付きのハンバーガーと、香り高いブレンド珈琲が出てきました。カップもノリタケとか一流品でした。これは只者ではないこだわりの喫茶店です。

 

イタリー製のチェレステのビアンキが店の前にポツリと置かれていて、オーナーの愛車だそうです。自転車乗りなんだと紹介された長身のオーナーが挨拶に出てきてくれて、イタリアンと言うパーコレーターで入れた珈琲をごちそうしてくれました。まさに日本で探していたエスプレッソでした。豆もイタリアンローストに深煎りした特別なものだそうです。早速、美味しいエスプレッソを飲めるところを探していた、キヨ・宮沢さんを連れて、つくばのこのお店にやってきました。大柄なエスプレッソマシンで入れた珈琲より美味しい、本物のエスプレッソでした。最初は琥珀の液体のみで飲み、ザラメの砂糖をスプーン2杯入れてかきまわさずに飲んで、次にフレッシュミルクをたっぷり入れてマーブル状態のまま飲んで、味の変化を楽しみました。

 

雑誌の仕事、親父の会社の仕事もやりながら、ナショナルチームのコーチ兼メカニックをして、さらに佐倉キャンパスへ通って、順天堂大学のトライアスロン部のコーチをやっていたのですが、引き抜かれて、筑波大学のトライアスロン部のスーパーバイザーになり、珈琲中山へせっせと通うようになって、ランチメニューは全て制覇しました。やっぱりお気に入りはハンバーガーと、ミートソースでした、当時は同時に両方食べてましたね。2001年、スポーツバイクつくばマツナガの開店を手伝って、つくばでライドをするようになって、走り仲間達とお昼ご飯を食べに珈琲中山へ行くようになりました。

 

オーナーが気にしてくれて禁煙室を用意してくれたり、ケーキをみんなにサービスしてくれたり。個人的に行くと、カウンターの隣りの席へ座って、何時間も話するようになりました。最近のオーナーは多店舗展開していた系列の喫茶店を整理して、土浦学園線沿いの焙煎工場のあるお店を今後も運営できるようにお膳立てしていたそうです、ぎりぎりまで元気に前掛けをかけて、カウンターで珈琲を入れたり、キッチンで調理していたので、まったくオーナーの体調の変化に気が付きませんでした。心配させない気遣いだったんですね。もっと通って話をしておけば良かった。突然のことでぽっかりと穴が開いたようです。ご冥福をお祈り申し上げます.ありがとうございました。涙しかない!。スタッフが頑張って珈琲中山の味とテイストを引き継いで行くそうなので、皆さんも変わらず通ってください。

 

日曜日のスポーツバイクマツナガのサンデーライドを一緒に走った皆さん、帰り道で立寄った喫茶店が珈琲中山です。何かの機会があればバイクやクルマで立寄ってみてください。喫茶店を何軒も経営しているのに、オーナーは本物志向のひとでしたから、焙煎工場を作って、自らが修業して珈琲豆を選び、全ての焙煎行程を作業していたそうです。もっと巧くなりたいと、65歳になった時に思うところあって、焙煎の修業をやり直すと宣言していました。3年前、60歳のボクはその言葉に刺激を受けました。その魂のこもった焙煎工場の前で、オーナーのために一緒に黙祷していただきありがとうございました、感謝申し上げます。ではでは。