クマさんのバイク専科

ロックンロール研究所に行ってきました!

 

メンテンンスできる後継者を連れて行こう!。清志郎さんの2台のバイクをメンテナンスに行きます。ケルビム号もトレックのプロジェクトワンも見ておいた方がいいかなと思っています。保管場所はロックンロール研究所の中のギターやピアノやドラムスなどの楽器が保管されている、エアコンが効いているプライベートの音楽スタジオです。ミーティングルームにはホイールも保管されているはず。通称「ロッ研」は清志郎さんのプライベートスタジオで、音は完全にコントロールされていて、壁の中には白金のコードが張り巡らされていて、どのコンセントからもヨーロッパ仕様のアンプにマッチする電圧が取れるようになっています。

 

この部屋の重いドアを開けると、入り口近くに置かれているドラムスのスティックを持って、頭に浮かんだリズムを刻んでウオーミングアップして、作詞ノートを広げたり、パソコンを開いて音符を並べて作曲したり、楽譜を並べてセクションごとの編曲をしていました。作詞ノートというより次の楽曲のアイデアが詰まったノートには、言葉へのこだわりが手書きでちりばめられていました。音楽が自然に溢れ出てくるのではと思わせる天才と言われるひとも、何冊もの古びたノートを手にして、こうしてこつこつと気になる言葉や出来事を書き留めて、頑張っているんだなと思いました。

 

苦しいこともあるのでしょけど、創造するって作業が大好きだったんでしょうね。ひとを驚かせること、ひとが考えも及ばないこと、これは大人の世界の常識や、大人の事情とかを飛び越えたとこに視点を置いて、考えることが好きだったんじゃないかな。明るくなるまで夢中で作業していたそうです。明け方、上の階の自宅へ戻ってバタンキューなので、午前中に起きてくるなんてことは珍しかったようです。そんな自分の時間を過ごすのが大好きだったようで、マネージャーにも午前中の仕事はNG を出していたようです。清志郎さんが創作活動していた部屋で、少なくとも2台のプロジェクトMのメンテナンスをします。

 

ボクもいつまで対応できるか分かりませんから、清志郎さんの事務所のスタッフに後継者を紹介して置こうと考えました。プロジェクトMを作っているスポーツバイクつくばマツナガで働く、坂間メカニックにロッ研に来てもらい、作業を手伝ってもらうことにしました。東京のロックンロール研究所に向かってクルマで移動です。その前で、スポーツバイクつくばマツナガの坂間メカニックと11時に待ち合わせました。整備台、スモールパーツ、ケミカル、工具箱を積み込んだクルマで乗り付けました。坂間くんとプロジェクトMのオーナーでもあるしゃぶちゃんに荷物を持ってもらって、エレベーターへ乗り込んでロックンロール研究所のドアを久し振りにくくりました。

 

玄関を入ると右手が完全防音装置装備のスタジオで、ライブが終わって打ち上げで夕飯を食べてから、このスタジオに出演者が集ってきて、デジタルのビデをで収録したライブを大画面のモニターで再生しながらのダメだしがあって、朝、明るくなるまでおしゃべりしたり、楽器を手に取って演奏したり。共演者の大竹しのぶさん、小泉今日子さん、薬師丸ひろ子さんとかが一緒にライブのビデオを見て朝まで楽しんでいましたね。咽頭ガンの放射線や抗がん剤による治療を終えて、体中から力が抜けて動けないという、髪の毛が伸び始めた清志郎さんに会って、体をほぐしたのもここだったし、快気祝いのオレンジ2号を松永店長と渡したのもここでした。

 

ロックンロール研究所には、清志郎さんの楽器を管理しているしゃぶちゃんと清志郎さんの息子さんが待っていてくれました。2台のオレンジ号は東京での展示が終わって、大阪の展示会へ運ばれる寸前でした。バイクを点検するとホイールのタイヤだけがカチカチになっていました。ボーラウルトラ50とハイペロンのホイールのチューブラータイヤはボロボロになっていました。本来なら、清志郎さんが愛用していた、乗り心地のいいヴェロフレックスのクリテリウムを張りたいところですが、大阪での2ヶ月の展示期間を考えると、ブチルチューブで空気の抜けが遅いコンチネンタルにしました。

 

これなら2ヶ月の展示で3回ぐらい空気を入れればタイヤがぺしゃんこのかっこ悪い状態にはならないと思います。坂間メカニックがホイールからがびがびになったチューブラータイヤをはがし、コンチネンタルのチューブラータイヤを張り付けてくれました。軽量しなやかな乗り心地を追求したオレンジ1号の重さは前後輪ハイペロン仕様で6、4kgでした。キューバを走っている時に発注された上り坂重視のオレンジ2号は、ハイペロン仕様で6、7kgでした。大阪へ搬送されるオレンジ1号にはボーラ50を前後にセットして仕上げました。

 

2台のメンテナンスを終わって、バイクの倉庫を見ると3台のバイクがストックされていました。トレックのプロジェクトワンモありましたよ。オレンジ2号にセットして、リハビリ走りに使っていたブルザッティの木リムホイールも前後輪ありました。坂間メカニックは、スタジオの中を見学させてもらいました。奥のソファーはそのままでしたし、清志郎さんが描いた油絵が壁にかかっていましたし、愛用していたギターが数本置かれていて、ピアノ、ドラムスセットが昔のまま、そのまま置いてありました。

 

このソファーの脇にキャメルの毛布を敷いて、清志郎さんに寝転がってもらい、ストレッチングしたり、マッサージしたことを思い出していました。作曲中にここへバイクと整備台を入れて、メンテナンスして、パイロット版のCD が仕上がると、早朝にここを出発して石和温泉に向かって走ったこともありましたね。スポーツバイクつくばマツナガの松永店長とみちこさんとのつくばでの結婚式の前日、というより当日の午前2時頃に清志郎さんから電話が来て、CDができたから取りにきて欲しいというので深夜の3時頃に、ここへ受け取りにきました。

 

ハワイのセンチュリーライドへ一緒に行った帰りに、知り合いだったカマカという手作りウクレレ工房に立寄って、オーナーに直接オーダーしてきた復弦のウクレレがとどいたそうです。奥の細道と言う清志郎さんの走りをドキュメンタリー風に追う、NHKの番組の収録中、オレンジ1号を作った松永店長とみちこさんと清志郎さんが一緒に走りました。その時の奥日光での3人の走りを詩にして、曲を付けて、「真冬のサイクリング」を歌ってくれたCDを結婚式に間に合わせてプレゼントしてくれたのです。

 

そんなこんなを思い出しながらのロックンロール研究所の訪問になりました。オレンジ2号のフロント変速機のクランプバンドが壊れていました。スペアパーツの手持ちが無かったので、これは次回のメンテナンスの課題になりました。お疲れさまでした坂間メカニック。松永店長、清志郎さんがその乗り心地の世アを超お気に入りだったオレンジ1号は、ピカピカになりましたよ。いつ清志郎さんが帰って来てもつくばまで走ってこれますよ。ではでは。