クマさんのバイク専科

忌野清志郎さんの使ったピックの話し!

忌野清志郎さんが率いた腕っこきのバンドマンが集ったラフィアンドタフィとナイスミドルというバンドの、関西ツアーに帯同してバンドメンバーのコンディショニングトレーナーをやったことがあります。バンドのメンバーを乗せたバスには、清志郎さんやボクのバイクが積んであって、次のステージの会場まで走って行くことがたびたびありました。バスでの移動に飽きてしまい。高速道路のサービスエリアの裏の出口からバイクで走り出した清志郎さんを、心配だから付いて行ってくれと言われて、あわてて追いかけたこともありました。

 

スキあらば走ってやれって感じでした。その頃は、東京から80km離れたつくばにもバイクで走りに来て、つくばのホテルへ宿泊して、不動峠や湯袋峠などを走ったり、岩瀬周回をフルーツラインで走って100kmは普通にこなしていました。当時の清志郎さんの1日にロードバイクで走るレンジは200km近いので、次のツアー会場までの100kmという走行距離は余裕だったんじゃないかな。ハートレートモニターを付けて、運動強度をLSDレベルに抑えて走っていました。

 

前日にコンビニで地図を買い込んで広げて見ている時は危ないですね。ホテルの部屋に入って地図を広げ、会場までのルートを確認して、頭にルートを叩き込んでいるんです。メインの道はけっこう交通量が多いので、そういう時は走行ラインを車道側へ30cmほどずらして、斜め後ろに付いて走ってクルマ避けになってサポート走りに徹しました。清志郎さんはウオーミングアップ代わりに会場まで50km、100kmと走っていたみたいです。会場に着くとシャワーを浴びて、軽く食事をして、今日のステージのリハーサルが通しで始まります。気になるところをリピートして、時にはステージ本番より長くなります。

 

100km走ってきて、2時間リハーサルして、1時間ストレッチやマッサージして、ステージが9時頃まであって、主催者やスタッフや出演者との打ち上げがあって、ライブの反省会が深夜にあって、翌日のお昼ごろには移動があっての繰り返しで、時間はあっとう間に過ぎて行きました。そんな2時間にも及ぶリハーサルの間も、ザバスのBCAAウオーターをバイクボトルに用意したり、アイスパックを用意しておいて、ステージを走り廻って大汗をかいたのをクーリングしたりしていました。冷やしておいたバイクボトルを手渡すと美味しそうに飲んでいました。

 

そんな時に、リハーサルで指先に付けていた消耗したギターのピックを渡されました。リハーサルだけでもギターを何本か使うので、ピックもギターに合わせて換えているみたいです。ギターのネックのところにピックがいくつもぶら下がっていて、時には曲の終わりにステージからオーディエンスに向かって投げることもあります。トレーナーとしてステージの裏で準備して、2時間のステージを終わって、アンコールに応えて、大汗をかいた清志郎さんやバンドのメンバーが帰ってくると、広い部屋のストレッチマットに寝かせて、アイシングしたりマッサージして回復モードに体を切り替えてスタミナを温存します。その後で、夕ご飯を食べに行くのがツアーの日常でした。ライド、リハーサル、本番はLSDレベルの運動強度で、4時間のリハとステージはもの凄く体力を使う仕事です。

 

ステージ裏で受け取ったピックは、いつの間にかカーゴパンツのポケットにいっぱいになりました。清志郎さんが指先に付けていただけに、捨てるに捨てられず、いつからか瓶に放り込んで保存しておくようになりました。清志郎さんファンの知り合いにプレゼントしたりして数は少なくなりましたが、ラブジェッツ時代のエレキギター用の三角のヤツもあります。何より、ステージ裏で聴いていた数々の曲はボクの宝物です。CD に収録された曲とはまったくの別もので、イマジンとか500マイルとか、ぞわぞわと鳥肌が立ちました。生のステージとは比較にならないと感じました。

 

スポーツバイクつくばマツナガの、フィッティングのコーナーにある、ポーラーの保冷ボトル、カンパニョーロのリヤディレラー、アディダスのSPD ペダル用のバイクシューズは、清志郎さんがライドで愛用していた実物です。プロジェクトMのオレンジ1号レプリカに乗るライダーをSRM で見かけました。よほどの清志郎さんのファンなのでしょう。オレンジ1号2号をロックンロール研究所にメンテナンスに行って、ユーズドのピックのことを思い出しました。仕事部屋に置いてある瓶の中から、1つピックを取り出してプレゼントすることにしました。ではでは。