クマさんのバイク専科

フランスが英語教育を止めた理由!

フランスが統治していたベトナムが共産化されると本格参戦したアメリカ合衆国、多くの犠牲を出して、屈辱的な敗戦や徹底を一緒に経験した因縁のある関係にも関わらず、フランスはアメリカを象徴するような、マクドナルドのハンバーガーチェーンや、KFCなどファストフードの進出にも拒否症状を見せるほどで、アメリカの文明に対して、アレルギー反応の強い国でした。
国技とも言えるツールドフランスで、グレッグ・レモンが個人総合優勝して、凱旋門近くの大通りでアメリカ国旗を身にまとったとき、沿道のギャラリーからは祝福とともに、ブーイングというアウェイの洗礼を受けていたのを忘れません。


フランスは労働者としてのアフリカ系や東欧やアラブ系、ベトナムやカンボジアの移民や難民の受け入れの多さに反して、ナショナリズムが強く、移民の排斥運動のある国です。
フランス国内の若者達の失業率が圧倒的に高いことや、収入の格差もその根源になっています。
農業従事者が多いのですが、農家の後継者になるはずの家族が、ユーロ圏の他国へ、いい仕事を求めて働きに出ている人も多いのです。
フランス語に対する根強い愛が発信源だと思いますが、それまで当然のようにしてきた英語の授業を、右傾化する傾向のあった政権は、突然英語の授業を休止することにしました。


日本語の中にカタカナ英語が自然に話されるようになったり、短縮語や流行の言葉が話されたり。フランス語の中にも英語の単語や略語が取り入れられて、美しいフランス語がないがしろにされている、その根源が英語教育だという分けです。世界の文化の中心であると思っている国民性です。
誇り高い国の母国語ナショナリズムと言えます。
でも日本で学校教育から英語教育の根絶って考えられないでしょ。そこがフランスなんですね。


いいのか悪いのか、強い愛国心が根底にあるから、当時の大統領やその支持政党の、10年以上の義務教育の必須科目から英語教育を失くす、という法案になって通ってしまうのでしょう。
ところがワールドワイドでビジネスに関わりたいと思っていたフランスの子供達は困ります。
ヨーロッパ圏でビジネスするだけなら、ドイツ語、オランダ語、フラマン語、スペイン語、イタリア語くらいをしゃべる人はいます。それは必要だから自然に身に付いたのだろうと思います。


フランスではフランス語意外あまり通じないとか、話してくれないとアドバイスされていたけど、意外にも有効な英語教育が行われていたらしく、ほとんどのフランス人のレース関係者が英語を積極的には話してはくれないけど、話せたり理解できることに驚きました。
英語教育されていた世代が存在するのです。
現在のフランスでは大学へ通い、ワールドワイドのビジネスや研究をしたり、会社に就職するために、義務教育の段階で英語教育が実施されていない世代なので、ビジネス英会話教室に通うフランス人や移民が増えています。


逆に驚いたのはイタリアへレースに行ったときでした、工業地帯の豊かな北イタリアから、長靴の先のほうのレッジオなどの南の田舎へ行くまでもなく、国際都市のミラノ市内で暮らしている人でも、イタリア語しかしゃべれない人が多かったことです。
英語教育ってされていないのかな。
ペンションでもバールのスタッフもそうで、一番困ったのはタクシーだったけど、シンプルな英語で話しかけてもちんぷんかんぷん、お前は何を言っているんだという表情で両手を上げられてしまいます。
片言のイタリア語とゼスチャーで意思表示しないと通じませんでした。


生活するために、急いでイタリア語を覚えないと、とんでもないレース活動になってしまいそうでした。
イタリア人選手の多くは、思っている以上にイタリア語圏やポルトガル語圏の選手とスタッフで仲良く固まっています。
そこに入り込むのには片言でもイタリア語で話しかけるしかないと思いました。
日本で外国人タレントやミュージシャンが、アリガトゴザイマス、スシ、テンプラ、シャブシャブ、オハヨウゴザイマスって、知っている日本語を連発していれば、多少場違いでも、日本好き?かも、とか、笑って許されるでしょ。


あれですねきっと。ボンジョールノ、ペルファボーレと、知っている単語とフレーズの連発です。
いつまでもそこからステップアップできないとあきれられたり、しょうがないなと思われちゃうけど。
ほんのちょっとだけでもアップデートしていれば、彼らがお気に入りのバールへ誘われるようになって、相手をしてくれます。


握手することは武器を利き手に持っていないことを示す動作で、お互いに力強く握ることで相手の技量を測り、次には元気か?、というお決まりのフレーズがあって、名前を言って、「ミキャーモ、フジ」と、「フジ」と呼んでくれと、その国の人が発音しやすいニックネームを言って、初めての出会いが始まります。
甘えるようで申し訳ないけど、同じ自転車乗り、弱っちくても、ヨーロッパでプロロードレースに参加するのだということを、一番大きいコミュニケーションのきっかけにして、暗い顔をしないでしゃべることにしました。


そこがイタリアでレース活動をしたり、取材活動するための壁を乗り越えるためのキーパーソンとの出会いになったりしました。
会社のヘッドとの連絡が取れたり、レースや選手やスタッフのリクルートの情報が流れてきました。
それがイタリアで活動するためのブレークスルーのコツだったかな。
お役所仕事もチームの問題解決にも、日本以上に義理人情を大切にしているし、相手の顔を立てることを心がけていますね。
何をするにもコネクションの大事な国だと思いました。
浅田くんみたいにフランス語をブルターニュなまりで話せたら、もっとフランスでも世界を広げることができたでしょうね。
ではでは。