クマさんのバイク専科

自転車業界で生き残るのは大変です

スタッフの阿部ちゃんが退職しました!
他業種から転職して来て5年が過ぎていました。
ショップは個人商店ですから、メカニック、接客、誤中もん品の在庫の確認、
商品のセレクトや発注、商品の到着の検品、お客様への商品到着のお知らせ、
パーツの輸入卸屋さんや完成車メーカーの展示会巡り、ライドイベントのガイド役など多岐に渡ります。
一般的なショップでも、仕入れを担当していたらなかなか帰れないのが普通です。
 
自転車業界でしばらく働いて、この業界の卸屋さんやメーカーとのつき合い方とか、
販売のシステムを把握したら、将来はショップの経営をしたいと言っていたと思います。
プロチームのメカニックとかの選択肢もあったと思いますが、
レースでの転戦の忙しさや拘束時間やギャランティなどを考えると厳しい世界です。
他業種へ転職するようです。
数台のバイクを所有する自転車好きなのだから、
いつか、今までの経験を生かした、自分のお店を開店するといいのだけど、どうするのかな?。
 
スタッフになったら覚悟が必要です。
遊びの道具やレース機材を売って、整備して食べて行くのですから、大好きな自転車に囲まれての仕事だけど、
好きなことを仕事にするのは、楽しいだけじゃすみません。
クマジジイの場合も、グラフィックやパッケージのデザイナーの仕事に25歳で見切りをつけて
、プロチームの運営、自転車雑誌の原稿書き、自転車も何十台と手に入れて、いろいろ乗って見て楽しい思いはしました。
トライアスロンのコーチの仕事や、トライアスロンやロードチームのメカニックも経験しました。
 
両親や家族、出会った選手やスポンサー、日本はもちろん、イタリアやフランスでも、
いろいろなひと達に助けられて、好きなことを仕事にしてしまったボクが大変だと感じるのだから。
移り変わりは激しいし、そこそこでいいなら簡単にサバイバルできるけど、
間違いなくこの世界でトレンドセッターとして方向性に影響したり、ビジネス的に成功し続けて生き残るのは甘い世界ではありません。
 
どこのサイクルショップでも、現実的には目の前の仕事をこなして行くことで一杯一杯になりがち。
それはどんな職業でも真剣勝負していれば同じでしょう。
次々にアップデートされる商品知識の把握にも追われるし、ライバルショップとの競争とか、
メカニックとしてのクオリティを上げること、売り上げを上げるスキルアップもしないと食べていけないので、
そういう大変さが、次々と壁になります。
 
商品知識は自分が好きなことですから、比較的すんなりと吸収できるものですが、ロードが好きとか、
MTB が好きとか、プロフェッショナルとして、自分の好みだけで情報の重さを区別することはできません、
得意不得意はあっても、そんなこと言っていられる世界ではありません。
完成車、パーツアクセサリー、ウエア、素材、走り方、レース、ロングライドイベントなど、
あらゆる情報をベースに専門ショップのクオリティとして取り込むことが必要です。
 
そして、昔の情報や知識や体験をベースに、最新の情報を取り込んで、
そして、もっとも重要なのは地元のユーザーが、ここのフィールドをベースにして、
どの方向を指向する可能性があるかを把握して、
ショップ内に展示する完成車やカスタムフレームやパーツなど、
自転車生活へ取り入れてほしい商品をセレクトして、お客様へ提案する力が必要です。
 
大好きなスポーツバイクへ毎日触れる生活になるわけです。
特につくばのショップではクオリティの高いハイエンドバイクが整備の中心ですから、
求められるクオリティと信頼へ応えるためには、小さな成功の積み重ねと、出来上がった喜びが、メカニックのやりがいです。
でも、それが日常になると感動を得られなくなるんですね。
仕事が集中してしまうと、キッチリ整備して、なるべく早く愛車をお返さなくちゃと、頑張るしか無くなることもあります。
 
バイクを見れば、お客様の名前や顔が思い浮かびます。
メカニックの仕事は、整備エリアで整備台へ載せて、1台1台向き合うわけです。
そこにクオリティを保つ覚悟が常に必要です。
どんなに疲れていてもプライドにかけて手を抜かない、いいメカニックにはそういう気持ちが身に付いています。
クマジジイの場合はプロチームの運営を経験して、トライアスロンのメカニックやコーチの仕事で転戦して、
40歳で、体力や気持ちの限界を感じて、3年くらい自転車にも乗らず過ごしました。
たまたま雑誌の仕事で忌野清志郎さんに出会って、フィッティングやバイクの調整を任されて、
バイクでコンサート会場まで移動して、リハーサル、本番のステージ、時々移動で一緒に走るようになりました。
 
走りを再開したときは苦しかったけど、年上の清志郎さんが元気なのに刺激されて、毎週末に走るようになりました。
サポートしていれば、メカニックのクオリティも問われるので、明日の朝レースに臨む選手へバイクを提供する、
という覚悟とクオリティを取り戻しました。
覚悟を全うできなくなったら整備には手を出せなくなります。
阿部ちゃんも、そういう苦しいときが来て、自転車業界に転進先もあったようですが、
キャリヤや年齢に見合った報酬を得にくいですから、他業種を選んだようです。
大好きなスポーツバイクは乗って楽しむほうがいいと感じたのかもと思っています。
黒姫高原るんるん合宿で待っています、落ち着いたら参加してください。ではでは。