職人マツナガ通信

3月4日

三十年ぶり。
三十年ぶりの方から電話をいただきました。
ボクが19才で、自転車レースがやりたくて入社した会社でお世話になった方からでした。
当時ボクは、レース活動をしながらミニサイクルのフレームをつくる作業をしており、

フレーム作りの現場でよくおせわになっていた人です。
すでに定年退職をされたのですが、最近請われてまた、フレーム作りを再開して、
インターネットでボクを見つけられて、なつかしくて連絡をしてくれたとのことでした。

最初は名前を聞いても、ピンとこなったのですが、
すぐに顔まで思い出せました、やるじゃないかオレの脳ミソ。
実業団ということで、その会社で仕事をしながらレース活動をしていました。
もともと実業団でレースをやれるような素質はもっていなかったのですが、
運が良く入ることができたんですね、今思い返してもまさに運としかいいようがないです。
入れたときから自分の中で三年やって芽が出なかったらレースはやめようと決めていました。
そして三年目、自分が思い描いた到達地点ではなかったので、レースをやめる決心をしました。
そうして、いろいろ考えて次の目標となるものとして、レーシングバイク作りと自分の中でめました。
そうと決まれば即実行、その会社はロードーレーサーもつくっていたので、
自分をミニサイクルの現場からレーシングバイクの現場へ転属願いをだしました。
それまでレースしかやっていない三年坊主なので、無理だったのでしょうね。
受け入れてもらえず、若気の至り、待てなかったんですね、
すぐにフレーム作りを勉強できる環境をもとめて辞めてしまいました。
この時、もしボクの要望が受け入れられていたら、今はつくばにはいないでしょうね。

ジンセーは、まずは思い通りにはいかないことで苦しみますが、
思い通りに行かないことが、どう転ぶかわからないのがおもしろいですね。