職人マツナガ通信

4月29日

大盛況。
ボクがミヤタレーシングに所属していたときの先輩、
高橋松吉さん、三浦恭資さんを迎えての、
ライド&ソバ大会、大盛況でした。
お二人にくわえて、やはり先輩でスプリント日本代表になったことのある吉田徹栄さんは、
当時チームマネジャーの小菅女史といっしょに、
店舗横の特設厨房でソバを打ってくれました。
ライドでは、みなさん往年の日本チャンピオン、オリンピック代表のお二人の、
オーラのある走りに感動されていたようです。

松吉さんとの強い思い出は、
モスクワオリンピックの代表を選ぶ全日本選手権で。
当時4000m個人追い抜きで代表をねらっていた松吉さんの、
スタート直前のマッサージを自分がやってました。
残念ながら、破れてしまい、なんともいえず、自分も負い目をおいました。
その時、松吉さんはオリンピック代表には、4000m個人追い抜きでしか頭になく、

必ず勝つということで、験を担いで、
ロードレースの参加の用意を、敢えてしていなかったですね。
個人追い抜きに破れ、ご自身に心境の変化があったのでしょう。
急遽ロードレースに参加するということにになり、
会場の修善寺サイクルスポーツセンターから、
寮のある茅ヶ崎に、ロード用のシューズと一式、
夜中に取りにもどった記憶があります。
で、なんと、捨て身で参加したロードレースで優勝をしてしまったんですよね。
ここでは、オリンピック代表をのがしましたが、
ここから、伝説のロードマンとなる、ロード選手としての高橋松吉さんが始まったと思っています。
三浦さんは、歳は自分より上なのですが、
ミヤタレーシングには自分より後に入ってきました。
最初はピスト選手として活動をしていましたが、
イギリスで行われた世界選手権を吉田さんと観にいって、
帰ってくると、レースをやるならロードだ!
と大変身していました。
そこからがすごいんです。
ロード選手になるには、今までの練習量ではダメということで、
半端じゃない練習が始まりました。
真冬は日が落ちるのが速いので、
ロードレーサーにダイナモランプくっつけて、ゴロゴロいわせながら夜も乗ってました。

ボクは見ていて、メチャクチャ無茶するな、身体こわすじゃないかと思っていました。

自分がまねしていたら、まちがいなく身体こわしておわりでしょうね。
果たして、全日本ロードチャンピオンをとってしまうんですね。
自分は選手としては、箸にも棒にもかからないレベルでしたが、
こういうすごい人を生でみられたことが大変な財産となっています。
当時のチームのすごいところは、
練習を強制されることは一切なかったです。
そのかわり、手取り足取り教えてくれることもなったです。
必要なことはみんな自分でもぎとっていました。
チームの精神として、
誰に頼まれてやっている事じゃないんだから、
自分で選んでやっていることだろう、
やならやめなよ、というが根底にとおっていまいた。
ここで学んだこの精神は、
その後の自分の人生でも大変役にたってくれています。