職人マツナガ通信

2003年 10月27日

ブリヂストンアンカーのショボちゃんタシロくんがお店にやってきました。
あまり疲れたようには見えず元気そうでした。
(この後家に帰って爆睡したそうですが)
 
早速昨日のレースの事きいてみました。
ヨーロッパ勢のものすごい篩いにによって最終回には、11名になった先頭集団。
その中には、同チームの選手も複数いて、誰がいってもおかしくない状況であったのでチームメートが集団にいないタシロ選手は、すべてのアタックに反応していたそうです。
なんとしても、上位にいくことしかアタマになかったようです。
結局、反応したアタックは全て決まらず、最後にはたまらず力尽き、集団から離れてしまったそうです。
 
以前アサダ監督とレースや選手の事を話した時、
依然として日本のロードレースを取り巻く状況がよくないと言う監督に、
実力があれば自然とお金もついてくるじゃないの、
他のスポーツだって世界で戦えなければ食えないじゃないの、と言ったら、
タシロ、福島晋一選手レベルでしたら、ヨーロッパでも十分食えるレベルにあります、だから、もうすぐにでも彼らの実力にみあった、環境をつくってあげなければいけない段階なんですと、
と言われました。
 
今回の結果をみると、順位そのものは別として、内容的には、アサダ監督が言ったことが納得できる気がします。
彼らの実力が見れる場がもっともっと欲しいですね。
 
ショボちゃんタシロくんとはもう長いつき合いで、彼が自転車レースを始めた頃方のつき合いになります。
自分の中では、当たり前に知っている事と思っていたことなんですが、改めて思い返すと明確な回答が出てこないことがありました。
それを、今日、やっと聞くことが出来ました。
 
”なんで自転車レースでメシを食おうとおもったか”です。
 
彼がレースをやりたいといってきた時、大学4年生の秋で、普通ならもう就職が決まっている時期でした。
彼曰く、自転車でメシをくえるようになりたい、だから求職活動は一切しなかったと。
それが、それまでレースをやっていたならいざ知らず、当時は大学のサイクリングク部に所属して、日本各地をサイクリングしていた程度、レースの実績はゼロ、特別に自転車が好きなようにもみえなかった。
 
さて、回答です。
 
ショボちゃん曰く。
「勘違いの産物です」。
 
なんでも当時、サイクリングにいくと仲間うちでは、坂が結構速かったらしく、また、知り合いの選手なんかと走っても、たまに、坂で選手をまかしてしまったらしいです。
もしかしたら、自分は自転車レースに向いているのでは・・・・。
という思いこみ。
それと、
とにかく、なにかに、思い切りチャレンジしてみたかった、
という若さ故の冒険心。
この二つが重なって、レースに世界に飛び込んだそうです。
 
今になってみると、レースの世界のこと、少しでもしっていたら、こんな苦しい世界きっと飛び込まなかったと思います。
だそうです。
 
知らなかったことが、幸なのか不幸なのか・・・・・・・・。
 
今日、怪男児福島コ~ジくんからも電話がありました。
彼は、最初から逃げに逃げて、レースが本格的に始まった周回には、もう力つきてしまったようです。
でも、見に行ったお客さんが、記録には残らないが記憶に残る選手だ、(なんともったいないお言葉)といってくれるような走りを見せたようです。
宝くじオトコ、今回もはずれだったようです。
明日から、ツールドチャイナに参戦するため、中国に行くと言ってました。