職人マツナガ通信

イタリア就職記 (2)

折しも90年に日本で、自転車の世界選手権がありました。
日本での開催が決まった時から、日本の自転車レースシーンもにわかにかわりはじめました。
日本人のロードのプロチームが初めて発足して、世界戦に向け活動が始まったのです。
自分の中で、日本で仕事していく環境が、もしかしたら何かが変わるかも知れない、という期待感がありました。

蓋を開けて90年、秋、日本で最初で最後といわれてた、世界選手権が幕をあけました。
ボクも毎日、ピストとロード全種目をみるために通いました。
そのスピードのすごさと雑誌でしかみたことない選手をみれて感激し、また、世界選手権って、自転車業界(レースを含め)に携わるヒトのお祭りなんだな、ということを強く感じました。

そうして、開催がおわると、潮が引くように、サ~、っとそれまでの自転車熱はなんだったの、という感じですべてが元にもどっていきました。
結局、自分を取り巻く環境はなにも変わらなかったのです。
日本で仕事をしている限り、今以上の環境は手にいるれる事はできない、という思いがつのっていくばかりでした。

これ以上の環境というのは、レースの現場により近いところで仕事をするということ。
ハードなレースあって、世界のトップクラスの選手が参加して、そんな土壌でフレームをつくり、つくったものがそのハードな環境ですぐに評価される、そんな環境です。

もう、待っていてはなにもかわらない、歳ももう30才なるし、アクションをおこすなら今しかない、という思いにかられて、いよいよアクションをおこしはじめたのです。