職人マツナガ通信

イタリア就職記 (45)

2年に一度の輪界のお祭り、ミラノショーが終わりました。
イタリア行きを決めて行動をおこしてから丸一年、僕も目標のひつとに到達した事を感じました。

P工房との契約はとりあえずこのミラノショーまでなので、この先のことを決めなければなりません。
自分としては、もちろんこのままP工房で働く事を望んでいました。
3ヶ月間という短い期間でしたが、ボクの能力と人間性は十分につたえられたという自信はありました。
そうしてその旨をP氏につたえて、一切を彼の判断に委ねました。

そして、クリスマスツリーに灯がともる頃、P氏の自宅に夕食を招かれた時、彼が僕に言いました,
”Pazienza"(がまんしろよ)
うっすらと涙目で。

”我慢”とは、イタリア経済、イタリア輪界がもう少し景気がよくなるまで、イタリアで働くのは待て、と言うことでした。

3ヶ月間彼と常に行動を一緒にして、P工房、イタリア輪界の裏側をみてきた自分には、彼の言う意味が、分かりすぎるくらい分かったので、ごねれば、いくらでもごねられたでしょうが、
”じゃあ、またくるよ”
としかいえませんでした。

折しも91年というのはイタリア経済始まって以来の不景気だったようです。