職人マツナガ通信

10月21日

フジやん通信(http://www.sbtm.jp/advisory/top.htm)にあるように、
藤下さんとのファーストコンタクトはアマンダスポーツでした。
ボクが21歳の時無理を承知で千葉さんにお願いをしてアマンダで働かせてもらえる
ようになった時からですね。
藤下さんは雑誌の取材だったり、自分の自転車を頼みに来たりという感じで、
ちょくちょくアマンダスポーツに来てました。
最初の頃は千葉さんと藤下さんのやりとりを聞いているだけでほとんど話した記憶は
ないです。
それが、だんだん仕事を任されるようになり、
製作ものの必要事で直接はなしをするようになりました。
人と話すのが苦手なボクはそれでも話すのは注文をもらった自転車の事だけでした。
藤下さんと深い関係(?)になった決定的な事象は、
30歳の時アマンダを退職してイタリアで仕事をしたいと思い立った時からですね。
千葉さんにどうしてもイタリアで仕事がしたいと相談をしてアマンダを退職すること
を了承してもらったはいいが、
はて、さて、どうやってイタリアに潜り込むか、と思いあぐねていた時に、
当時JPPでヨーロッパを駆け回っていた藤下さんなら、なにか情報がもらえるかも
しれないと、
恐る恐る相談したのがきっかけですね。
恐る恐るというのは本当で、藤下さんも相当苦労してヨーロッパを駆け回っていたの
をしっていたので、
それで得た情報をほいそれと自分なんかに提供してもらえるだろうか、また提供して
もらっていいものだろうかという思いからでした。
結果は、思いの外優しい言葉で協力を約束してくれました。
(余談ですが藤下さんはその容貌からは想像できない位やさしい声を発生します、こ
れはアマンダの女将さんもおどいていた毎度言ってました)
藤下さんの思いは、松永個人に協力と言うよりも、
日本人がヨーロッパの自転車界で活躍することを願っての協力だったと思ってます。
そんなこんなで今に至っています。
もう知り合ってから20年以上たつのですが、
未だに藤下さんがなにでメシをくっているかはわかりません。
まっ、お互いにそれほど深く知り合わないというのが長くおつき合いできる秘訣かも
しれませんね。