職人マツナガ通信

4月25日

今日はSRM(http://www.sbtm.jp/lounge/srm.htm)でサイクリングの後、
番外編、メカニック教室をやりました。
サイクリングにつきものの、パンクの処置など、
講師鈴木スーの巧みな話術で、
みなさん楽しまれたようです。
ボクはここのところ、
私事などでSRMにでられなくて、
ちょっと物足りない状態。
真剣に八耐大丈夫だろうかと、
心配になってきた。

特別企画 ショボちゃんタシロ、アテネ選考会直前直撃インタビュー!

マ:マツナガ
タ:タシロ

タ:そうですね、レースらしいレースに出始めたのは、
大学3年生くらいの時でしょうか。
たまたま、先輩にデュアスロンをやっているヒトがいて、
その先輩に誘われたのがきっかけですね。
それで、レースに出るためにその先輩と練習らしい事をはじめました。

マ:で、デュアスロンにもでたの?

タ:一度だけでました。だけど、トライアスロン系には余り興味がもてなくて、
自転車レースの方に段々と興味が出始めました。

タ:自転車レースの方は、ちょうどJCRCのレースがクラス分けを
始めた頃でして、どういうわけか最初からSクラス(最高位のクラス)で走れたんで
す。
そして、初めてのレース、川場村のヒルクライムレースで優勝しちゃったんです。

マ:大した練習していないのに優勝しちゃったんだ。
やっぱりちょっと普通ではないよね。

タ:その後の、修善寺サイクルスポーツセンターのレースでも、
優勝してしまったんです。その時のメンバーも、結構当時では、
強い選手がでていたりして、
この辺りから少しカン違いをしはじめたようです、
なんか、自分は強いんじゃないかって、いう。
そして、このカン違いから、少しずつ自転車レースにのめり込みはじめました。
ちゃんと練習しようと思うようになってきて、
地元のつよいクラブチームのヒトたちと練習をはじめました。

マ:タシロ選手ジンセーの岐路だね。
じゃ、そこそから、自転車選手を生活の糧にしようと決意した、
辺りを聞かせてよ。

つづく