職人マツナガ通信

4月26日

今日もどこかで事件が~。
今月25日~28日まで沖縄で、
イマワノさんとサイクリングしないかという、
あま~いお誘いが先週あったんですね。
でも、ボクは今それどころではない状況なので、
涙をのんでお断りしたんですが。
そんな、沖縄から今日電話があり、
”イマワノさんがころんだ~”
なんと、カーブをオーバースピードではいってしまい、
落車してしまったらしい。
そして、骨折・・・・・・・。
あの慎重なイマワノさんがどうして・・・・・。
早い回復をお祈りします。

今日の製作シゴト
バラバラのラグパートがようやく、
自転車のカタチになってきました。
クロモリのラグを合金ロー棒で、
ろうづけし終えたところです。

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特別企画 ショボちゃんタシロ、アテネ選考会直前直撃インタビュー!

マ:マツナガ
タ:タシロ

タ:ちょうどその頃、大学の4年生になり、
まわりは就職活動をはじめだし、ボクもどうしようか考えなければ、
いけない時期だったんです。
このまま普通に就職するのはつまらないし、
今この年齢のうちに、
なにか思いっきり打ち込んでみたいという気持ちが強くあったので、
教職もとらなかったし、就職活動も一切しないで考えました。
で、さっき書いたカン違いから、
いま一番可能性のある物は、自転車レースではないか、
という考えにいたりました。
大学4年のはじめですね、決心しました、とことん自転車レースやってみようと。
でも、このとき自転車選手でメシを食うということがどんなことか、
なんて何にも分かってなかったです、ホントに何も。
知らないって事はすごいことですね。

マ:大学の4年のはじめに決心をして、
それで自転車選手になるアクションをおこしたんだね。
じゃあ、決心をして次におこしたアクションは何?

タ:実業団のチーム探しです。
とにかく自分の目指す活動が出来るチームを探しました。
地元にもいくつかったのですが、
自分の求める環境があるチームを徹底的に探しました。

マ:そこで、浅田監督(チームブリヂストンアンカー監督)の率いる、
若手育成チームの”リマサンズ厚木”に出会ったんだね。
秋ぐちくらいだよね、はじめて厚木に来たのは。
(当時ボクはサイクルショップ”チームリマサンズ”の店長をやっていて、
クラブの方に関わっていました)
たしか浅田監督と、大学でたのに、
就職をしないで自転車選手になりたいっていうのがいるけど、どうしようか、
というようなことを話した記憶があるよ。
選手をはじめるにしては、普通に考えると22歳はおそすぎるからね。
結局、期限付きで入ることになったんだよね。

タ:そうですね、2年やってダメだったらキッパリ辞める、と。
これは、監督やマツナガさんから言われるまでもなく、
自転車選手でメシを食おうということを決心した時から、
自分の中で決めていたことでした。

マ:そうして、”リマサンズ厚木”に参加が決まり、
どんな活動が始まったの。

タ:平日は大学に通いながら、浅田監督のつくってくれた、
練習メニューをこなして、日曜日は厚木へチーム練習にくるというパターンです。

マ:それまで、ほとんど一人で練習したらいしけど、
チームにはいって変わったことってなにかな。

タ:毎日自転車に乗ることです。
これ、ビックリしました。
最初に浅田監督に言われたのが、
「みんなと練習したければ、必ず毎日2時間自転車のってこい」
ということなんです。
それまで、自分でやっていた練習はせいぜい週に2・3回でしたから、
毎日自転車に乗るって事だけで、ボクには驚きだったんです。
こんな程度だったんですよ、ボクの自転車レースに関する知識って。
こんな程度で、プロの自転車選手になりたいって決心してまったのですから、
やはり、ボクの自転車生活の始まりは、
カン違いなんです。

マ:それは、何となく分かる気がする、
お店にきたてのころ、
ハブの事を車輪の真ん中のクルクル廻るところ、
って言っていたもんな。
さあ、いよいよ、自転車選手田代恭崇の本格的なとりくみのはじまりだね。

つづく