クマさんのバイク専科

テレワークで無駄が見えて来た!

会社へ出なくていいと緊急メールが来た。もう来なくていい、首だってことか?。窓際族としては、ちょっと焦った。新型コロナウイルス肺炎のパンデミックの影響で、会社に出社しないで、自宅でパソコンで素材の報告書を受け取って、添削してスタッフへ送り返すお仕事するようにというお達しが出た。意見交換もメールかテレビ電話でということだった。今まで朝の慌ただしい時間にラッシュアワーのすし詰め電車で、遅刻しないように通っていたサラリーマンが、体力を使って出勤していたのはどういうことだったのか。IT企業だけでなく時差出勤やフレックスタイムも採用されるようになっている。

 

入社の面接の時に年俸制で労働時間の縛りがなく、残業手当もなかったので、わがままを言って会社のビルの駐車場を確保してもらっている。車で都心へ通うのは大変だが、仕事が終わってばたりとドアを閉めるとプライベート空間になるのを気に入っているし、仕事が終わってから都内の好きな場所へ移動できるからだ。それは深夜に解放された時でも機動力を発揮できて、公共の移動手段に縛られている感がないのも車のいいところだ。原稿を深夜まで書いて来た時の生活パターンをこの会社でも特別に許してもらっている

 

会社に通勤するときは、短パンにポロシャツ、アディダスのスニーカーにソックスで、オフィスへ入る前に会社の支給する作業服に着替えるか、公官庁やクライアントに会う日は、秘書課の人に預けているスーツに着替えることになっている。靴も革靴に履き替えるのだ。高官庁がいくらクールビズといっていても、出入り業者側はネクタイ着用でお役所の受付に行って、煩雑な書類に面会の内容を記入したり、タッチパネルに入力して、担当者とコンタクトして会議室へ移動している。お役人の中にはポロシャツで来た民間業者に不快感を示す人もいるので、スーツ姿が無難なのだ。

 

この会社は、決められたデスクに、とりあえずそこにいないと評価されないという昔ながらの雰囲気があったけど、最近はそうでもない。いなくてもいいわけじゃないけど、スタバへコーヒーをのんびり飲みにいっていても、美味しい昼食を神楽坂に食べに行って、ちょっと遅刻しても、仕事をどうこなしたかの方が評価される傾向になっていることは、好ましいような気もするが、仕事の途中で気を抜いたり、手を抜けなくなって苦しいような気もして来た。

 

デザイン学校の細密画の教官とか、パッケージデザインの部門に所属とか、雑誌社など、出社時間のチェックはあったけど、どれも時間にあまり厳しいところで働いたことがなかったので、30歳を過ぎてからの真面目なコンサルティング会社の9時5時の勤務はきつかった。だいたい終わりの時間は遅かったしね。働きながら向いていないな〜と感じていた。義理があって退職することができず。相談して休職してオリンピック選手のコーチに専念することが決まって、これで自由になれたと思ったら、選手との付き合うのは24時間営業になって、選手が人生をかけてとか大袈裟なことを言うので、もっと息苦しくなった。

 

頑張っている選手には申し訳ないけど、オリンピックの日本代表になるとか、そんなことクリアするのは当たり前のことだと思っていたので、日本を主戦場なんて考えないで、常に戦う環境は世界チャンピオンやトップランカーと同じ場所をキープして、負けた勝ったを繰り返して、目標の選手をを身近に置いて、強化とリコンディショニングして戦い、目の前の成績でくよくよしないで、才能があるんだから、なんで世界一を目指さないのと思っていた。

 

メカニックやコーチとして選手の強化に参加していても、オリンピックも世界選も、ワールドカップも1度もドキドキワクワクしたことがないので、日本代表として緊張している選手の気持ちがわからないコーチだった気がする。大丈夫!、いつものようにやっていればレースの結果は出るんだから、大丈夫と、トライアスロンではバイクをセットする場所まで、工具と予備ホイールを持って付き添っているだけだった。ロードレースでもほとんど同じだった。そうやってオリンピックも世界線も普通に過ごしていた。

 

こうゆう仕事経験から、9時5時のコンサルティング会社のサラリーマン生活はちっとも馴染まなかったけど、今考えてみればゆとりがあった気がする。俺なんか一人いなくなってもこれなら会社は回るじゃんと思ったこともある。だから休職や退社も考えたわけだ。このパンデミックで人と人の接触を減らすために、テレワークが提案されたわけだが、やってみるとサラリーマンの無駄な時間が見えてきたし、仕事の効率を追求して利益を上げることに気がついた経営者は多いのではないだろうか。

 

テレワークで仕事が済んでしまうことを体験したサラリーマン自身も、会社への出勤や、所属意識、オフィスでの自分の存在意義について考えさせられたと思う。もしかして、上司にこいつ要らねえんじゃないのと思われていないのかという、リストラの心配も湧いてくるんじゃないかな。自分の好きになれる仕事を見つけて、夢中になって取り組めるのなら幸せだ。でも自分の経験では、好きなことを仕事にするほど辛いことはないと思っている。仕事だからこそ好きじゃないことにも取り組まなくてはいけなくなるからだ。

 

そうなると、苦しいからと逃げ出すわけにもいかない。UCIに登録したプロチームをヨーロッパで走らせた時も、スポンサー回り、海外遠征の予算作り、企画の提案書づくり、ツールドフランスに出られる選手作りを密かに目指していた夢を実現するためのチャレンジだった。世界選での完走者を出す約束はプロ車連のボスとしたが、根底にあるのは世界的なトップレースに日本人選手を送り込むことだった。世界チャンピオンやオリンピックチャンピオンなんて、当時の日本人選手の実力では、全く想像もできなかった。それでも半信半疑で支援してくれた人たちとの夢を語り合う会合でも、真面目に聞いてもらえなかったくらいだった。

 

それでも全くの素人だから迷いながらもコツコツと前に進んで、いつ倒れてもおかしくないタドタドしい歩みでもプロ選手の生活がかかっているので、簡単に諦めることはできないし、倒れるときは前向きにという気持ちを持って建設的な活動をしていれば、奇跡は奇跡を呼んで、現状とっぱのきっかけになる大切にしなければいけない若手が目の前に登場して、さらに繋ぐ人材をトライアウトで見つけて、いろいろな人のサポートの積み重ねを得て、夢やビジョンを実現することにつながることもある。

 

それはサラリーマンの枠からはみ出してしまった仕事だったが、今になって振り返ると、なんで目の前をお金が動いていくが毎年サラリーマンの年収ほどの赤字が出て、全く儲かりもしない初めての経験を積み重ねるような仕事へ、数時間の睡眠で4年も夢中になったのかわからない。この間にオリンピックも世界選も特別なワクワク感も感じなくなっていた。と同時に、選手もスタッフも、100年以上の歴史で文化として根付いているロードレースでブレークスルーするには、死にもの狂いにならないと世界に追い付き追い越すことはできないと思った。

 

テレワークで存在感を問われるような立場に戻ってコンサルティング会社のデスクに戻ったわけだが、やっぱりポカポカ陽気の窓際族として座席を与えられて、若手や中堅社員の報告文の内容をパソコンの液晶の画面で内容を精査して、予算請求は通ったものの勉強不足の官僚でも見て読んでわかるように工事内容を添削して、公官庁やゼネコンや自治体などのクライアントへの説明会議へ付き添って、じじいらしい役割を果たし、翌年のリストラのリストに載るのは嫌だから、真面目に働くことにしている。本当ですよ!。ではでは。