クマさんのバイク専科

チネリのレーザーミアというカーボンフレーム

チネリはミラノの郊外にあったステムやスチールフレームを作っていたファクトリー規模の工房です。チノ・チネリ氏が創業したファクトリーで、コロンブスのスチール製フレームチューブの卸業もやっていました。1964年の東京オリンピックの時には、カンパニョーロレコードを装備したチネリのスーパーコルサが出来上がっていました。当時は個人の外貨の持ち出しに制限があり、1ドルが360円という固定相場の時代で30万円以上したそうです。

 

昭和30年代、大卒の月給が1万円以下の時代です。プロテスラーだった力道山と豊登がヨーロッパの興行で、現地で稼いだ外貨で、チネリのスーパーコルサをイタリアで手に入れて、日本へ持ち帰ったことが知られています。現物を雑誌の撮影でみたことがあります。日本でもスポーツバイクは製造されていましたが、イタリアンカットラグにコロンブスのチューブで組まれたロードレーサーはレベルが違っていました。来日した選手が持ち込んだチネリをはじめ、ヨーロッパのロードレーサーやピストレーサーに衝撃を受けた人たちが、日本のスポーツ車業界をリードしていくことになります。

 

東京オリンピックでメカニックをやっていた横尾明さんは、イタリアンバイクを始めヨーロッパ製バイクの、日本への導入に注力した人です。チネリ、ビアンキ、コルナゴ、レニャーノ、デローザ、ロッシン・ジャン二モッタなどを扱っていました。浜松町のシミズサイクルも外車を扱うことで知られていました。チネリのレーザーアメリカやレーザーレボリューションの実車が展示されていました。日本のフレームビルダーも強い影響を受けています。そういえばレーザーのコレクターが日本にはいましたね。

 

創始者のチノ氏はアイデアマンで、ハブシャフトを抜くとフリーがフレーム側に残って、ホイールのみ外せるインターチェンジハブや、ビンディングペダルの原型になるM71というペダルやクリートのシステムなども製造販売していました。チネリはスチールのステム、アルミのステム、スチールのハンドル、アルミのハンドルを製造していました。息子のアンドレア・チネリ氏の代になって、コロンボ鉄鋼の御曹司のアントニオ・コロンボ氏にチネリを売却してしまいました。

 

ちなみにコロンブスのブランド名ですが、キースヘリングの絵で満ちている応接室で、コロンボさんと広報担当者に聞いたところ、コロンバスの表記や発音はよろしくないという。コマーシャルでもキャラクターを使っているように、ヨーロッパ文明としてアメリカ大陸に到達した、クリストファー・コロンブスのコロンブスだそうです。カンパニョーロがアメリカでキャンピーと呼ばれているのに似ているんじゃないかといっていました。イタリア人も日本人もバイシクルコンポーネントの老舗を敬意を込めてカンパニョーロと呼ぶだろう。日本でコロンバスと発音されていたり、表記されている場合があると言ったら驚いていました。

 

当時ミラノ市郊外の工場で、MTB用のオーバーサイズチューブや、フォーン加工したり、エアロ加工した熱処理された高級スチールチューブを自転車用に生産していました。フェラーリのスペースフレームやサスペンションシステムのチューブや、ドカティのバイクのチューブフレームの素材も製造していると言っていました。シリカのフロアポンプ用のチューブもコロンブス製でしたね。親会社はコロンボ鉄鋼でした。

 

コロンブスのチューブを製造する会社を経営する、コロンボ氏の会社になったチネリは、ミラノ市内にグランチクリズモというチネリのアンテナショップとも言える大型店舗を開店したり、バイクやパーツやアパレルの展開を充実させます。チタンのステムやチタンのフレーム。カーボンハンドルやカーボンステム、アルミ合金やステンレスチューブのフレームやカーボンフレームも発売しています。ブートレッグというアバンギャルドなフォルムを持つ、バイクやアパレルのセカンドブランドも設立しています。

 

ミラノの郊外にあったステムやフレームの工房は、80年台には一部スチールステムのファクトリーは稼働していましたが、フレームのファクトリーは生産を停止していて、一部の上級モデルはイタリアの協力工場で生産を続け、台湾のファクトリーにスーパーコルサのフレームや、スチール製チューブやカーボンチューブのなどの生産を委託していました。現在は、一部のフレームを除いて、再びイタリアの協力ファクトリーに生産場所を戻しているようです。セミものコック工法で製造されるカーボンフレームは、フレームチューブの生産をアジアの協力工場に委託して、接着などの組み上げもアジアで行っているようです。

 

アジアに主な生産拠点を移していたチネリブランドでしたが、例外がありました。北イタリアのロマーノ市にある協力ファクトリーで生産されていたのがチネリレーザーでした。当時はレーザーアメリカ、レーザーレボリューションが生産されていました。当時は現存したミラノ郊外のチネリのファクトリーには、フレーム製造のラインがあって、綺麗にペイントされたコルサレコードやレーザーのフレームが壁のフックに多数ぶら下げられて、いかにもファクトリーの見学者には、ここで作っているとアピールしていました。

 

レーザーは、スチール製のティグ溶接で組み上げたフレームで、コロンブスのフォーン状やエアロ形状のスチールチューブを平面の常磐の上にスチールブロックを並べて、その上にフレームチューブを置いて、センターを出して当時は一番職人のファビオ・ボナイタがティグ溶接で組み上げていました。フレームの素材がコロンブス製の異形スチールチューブだったので、治具は一々ブロックを並べて芯を出す必要があって、生産性はすこぶる悪く、型紙はありましたが、スチールの板からフィンもサイズに合わせて切り出していました。ものすごい手間のかかったフレームです。市販価格は90万円ほどでした。

 

接合部分には剛性アップのためのフィンがつけられていますが、一部のチネリ取扱のショップのホームページのコメントや、雑誌やブログのライターの記事にあるような、ティグフィレット溶接によるロー材を盛り上げたフィンではありません。シャープなフィンはペゼンティ氏の見せてくれたスタディワークの溶接したピースでは、エアロダイナミクスを狙ったものではなく、ヘッドチューブやハンガー周辺、シートチューブ上端など、接合部分の剛性アップのために、チューブをカーブさせて溶接するアイデアから始まったものだそうです。それが最終形としてスチール製の薄い板を切り出してノックス状やフィンの用に溶接するに至っています。

 

フレームチューブをティグ溶接で組み上げて、型紙を当ててスチールの板を切り出して溶接して、接合部分にパテを盛り上げて接合部を美しいスロープに仕上げて、自社内のペイントルームで塗装して仕上げているのです。パテによる造形はレーザーのスチール製フレームを塗り替えてみればわかります。レーザーのフレームは、イタリアナショナルチームのチームロードのオフィシャルバイクに何年も採用されて、世界選で数々のメダルを獲得しているし、ソビエトの世界的なパシューターのエキモフの愛用バイクでもあり、美しいだけでなく実戦レーシングモデルでした。

 

ペゼンティ氏はガンの治療のためにロマーノのファクトリーを解散して、治療を終わって社会復帰すると、ペゴレッティという社会福祉に関係したフレームブランドのファクトリーのフレーム製造の指導に関わりました。6年ほど前に、再びチネリとジョイントして、プロデューサーとして表に出ました。レーザーのスチール製フレームの生産を停止していましたが、カーボンフレームに移行して再デビューしました。コロンブスのカーボンチューブを協力ファクトリーで組み上げています。

 

カーボンフレームのレーザーミアは受注生産品で納期は3ヶ月から半年くらいと言われています。輸入代理店の話では1年待ちという例もあるそうです。日本での輸入代理店はポディウムです。ハンガーからシートチューブまでのフレームサイズは10mm刻みで対応してくれるそうです。7万円のオーバーチャージで寸法オーダーも可能なようです。ハンガー規格はBSCです。フレーム価格はだいたい60万円ほどです。フレーム単体重量は1000gを切っています。リヤエンド幅は130mmで、シートチューブはラウンドで27、2mm径です。今のところ油圧ディスクブレーキ仕様は発表されていないようです。カラーはレーザーブルーのみです。これが今、一番欲しいカーボンフレームです。ではでは。