クマさんのバイク専科

清志郎さんのオレンジ号は完成まで1年かかりました!

初めて清志郎さんがつくばへロードバイクを持って走りにきた時はいつだったかな〜。休みは土曜日と日曜日の2日あるので、2日続けて走りたいので、適当な宿を予約しておいてくれるかなと電話を本人からもらったと思います。土曜日は8時にロックンロール研究所へアヴェンシスで迎えに行きました。マネージャーと清志郎さんがロードバイクとお泊まり用の荷物を持って待っていました。僕のブログを読んでいてくれていたらしく、土曜日のマジカルミステリーツアーと、日曜日のSRMに参加するつもりだったようです。

 

一緒に走りたいという人たちを募るというより、マジカルミステリーツアーに集まった人たちと一緒に走りました。10時に桜運動公園の野球場の駐車場へ集合でした。首都高速、常磐自動車道を乗り継いで、1時間ほどで着きました。朝は苦手と聞いていたので、車の中は静かな方がいいのかなとも思いましたが、音が流れている方が落ち着くみたいです。ではどんな音楽を聴くのだろうと思っていました。iポッドではなく、僕の手持ちのCDで、大好きという、ミックジャガーのローリングストーンズのアルバムをつくばへ着くまで楽しんでいました。

 

マジカルは参加表明しないで参加するライドでしたから、誰が集まっているかわかりません。ルーフキャリヤからオレンジ号とマネージャーのバイクを下ろして、フロアポンプで空気を入れて、4本のボトルに、水とBCAAウオーターを作り、走る準備を始めると、集まってきた参加メンバーが驚いていました。挨拶を終えて、10時過ぎにつくば周辺コースを走るお昼ご飯を食べてつくばへ4時に帰る予定のライドはスタートしました。つくばりんりんロードで筑波駅へ立ち寄って、吉沼へ出て、小貝川の土手道で石毛方面へ向かい、つくば科学万博の記念公園へ出て、太麺の田舎蕎麦を食べさせてくれる日本蕎麦屋さんで、遅めのお昼ご飯を食べました。

 

桜運動公園へ戻ってルーフキャリヤにバイクを載せようと思いましたが、当時、竹園にあったスポーツバイクつくばマツナガに立ち寄ると、フレームを再策する工房が店内に合ったのが面白かったらしく、ここで待っているというので、車を取りに行きました。ルーフキャリヤにバイクを載せて、ホテルオークラフロンティアつくばまで送って、チェックインしてもらい、夕ご飯を食べに行くために、6時半にロビーへ迎えに行くことになりました。清志郎さんが好きなのは、まず室温のビール、焼肉、鍋、麺類全般です。今日は老舗のイタリアンの個室に予約を入れてあります。

 

ビール、ペスカトーレ、クワトロフロマージュのリゾット、ペペロンチーノ、ペンネアラビアータ、シーザーサラダなどをみんなでシェアして食べました。このイタリアの台所の料理を気に入ったようで、その後のつくばでのライドの1日目の夕食や昼食は、たいていここをご指名でした。朝食付きでつくばの中心地のホテルオークラフロンティアつくばを予約していたので、7時30分に2回のレストランで待ち合わせて、一緒にバイキング形式の朝ごはんを食べました。マネージャーからは、清志郎さんは朝が苦手で起きてこないかもしれないと脅かされていました。

 

ミールクーポンを持って降りて来ていました。東京―鹿児島の10日間のライドで、朝ごはんをしっかり食べておかないと元気に走れないことを体験していたので、それからは、ライドの朝は朝ごはんを食べると決めているそうです。そういえば、どうしても起きれなくて、朝ごはんの会場に来なかった日は、サランラップでご飯をくるんで、ゆかりや塩昆布を混ぜたおにぎりを用意しておいて、スタート直後から、走りながら食べてもらったのを思い出しました。

 

清志郎さんはつくばのライドを気に入ったようで、何度も走りに来ました。ショップにも毎回立ち寄って、グローブを買ったり、タイヤを買ったりしていました。そして、トレックジャパンとの使用のお約束が切れる頃に、プロジェクトMのための身体測定を松永店長に受けて前三角、後ろ三角、カーボンフォーク仕様でオーダーすることになりました。有名人の清志郎さんからのオーダーですから、今までのオーダーを受けているのをスルーして、すぐに作り始めてもいいだろうにとも思いました。スケルトンやフレームの剛性の設計から始まり、カーボンチューブやクロモリラグの素材を選び、製造の準備が始まりましたが、オーダーの順番通りに、つくばの小さな工房での製作は進みました。

 

時々、清志郎さんがつくばにやってくる理由は、発注したプロジェクトMがどこまで進行しているか気にかかるためでした。「その度にカーボンチューブとクロモリラグの素材を見せられるんだ」と嘆いていました。半年を過ぎて、1年が経った頃には、相当じれったくなっていたようです。会うたびに「早くできないかな〜、どんな乗り心地なのだろう」と言われました。オーダーの仲介をしてしまった僕も困りましたが、作り手の松永店長に強く催促するのもな〜、と思い躊躇していました。フレームの接着が終わり、そろそろ色をどうしようという段階がやって来ました。

 

オレンジというお気に入りの「英国の製アンプと同じ色にしてほしい」、メーカーの公認も得ていて、オレンジのロゴも手に入れて、ハンドルやトップチューブに入れて、ダウンチューブにはKIYOSHIROと入れてほしいというのです。大阪のフレーム専用の塗装工場へアンプの枠の現物を送って、職人さんに色を合わせてもらいました。普通のオーダーのお客さんと同じプロセスで、清志郎さんのカーボンフレームは1年がかりで仕上がりました。ペイントが仕上ってからがまた大変でした。

 

シマノ鈴鹿の1日目の夕方から、清志郎さんのコンサートが開催されることが決まっていました。その日まであと2日、メインスタンド前のパドックの屋上に特設ステージが設けられることになり、そのステージにオレンジ号が間に合わないか、という注文でした。

固定式のローラー台にオレンジ号をセットして、跨りながら歌いたいのだそうです。オーダー通りにカンパニョーロのレコードで組んじゃったよ。だけどシマノ鈴鹿でしょ、カンパで組んじゃったんだけどと、シマノの広報担当者に知らせると、顔をやや引きつらせて「カンパ装備でも大丈夫ですよ」と言っていました。

 

だけどシマノのヘッドスタッフがみんなステージを見にくるんでしょ。あの微妙な顔の引きつりを見たら、気の毒に思ってしまい、ストックで持っていたデュラエースに組み替える準備をして、つくばのショップでカンパニョーロを外したオレンジ号を車へ積み込んで鈴鹿サーキットのパドックへ急いで移動しました。パドックの下で、オレンジ号を整備台にセットして、お昼までに組み上げて、ホイールをセットして、パドックの屋根に置かれている固定式のローラー台にセットして、舞台の演出の担当者に設置場所やスポットライトの位置を決めてもらい、ガムテープでバイクの設置位置をバミリました。

 

メインスタンド満杯のお客さんで、無事に夜のステージは終わりました。翌朝にはつくばへオレンジ号を持って帰り、デュラエースを外して、カンパニョーロのレコードに載せ替えて調整してからロックンロール研究所へ届けました。本当に順番待ちで1年がかりでした。1年清志郎さんを長〜く待たせてしまったけど、有名人だからと特別扱いしなかった、平等にお客さんを大切にする頑固さも松永店長らしくて、はらはらした部分もありますが、僕はこのことをけっこう気に入っています。清志郎さんはプロジェクトMのオレンジ1号の乗り味を気に入っていたし、松永店長の頑固なところを信頼していたんじゃないかな。ではでは。