クマさんのバイク専科

アーサー・ビナードさんという翻訳家は只者じゃない!

アーサー・ビナードさん、僕はこの人のことをほとんど知らない。政治評論家でもないし、タレントやコメディアンでもない。ラジオの文化放送の5時過ぎに放送している、「今日の三枚おろし」というような表題だったと思う。毎日テーマを掲げておしゃべりするだけの、短い番組のコメンテーターとしてしか知りませんでした。大竹まことさんの番組の後のニュース番組に続いての番組なのか、ニュース番組の1コーナー的な扱いなのか。山椒は小粒でピリリと辛い!、そんな心持ちの番組なのだ。

 

年齢は56歳くらいだったと思うが、どこの国の人なのかも知らない。ちょっと話を聞いているだけでは、日本の文化が大好きのオタッキーなアメリカ人なのかもと思わせる。でも、日本語が上手い外国人タレントという域をはるかに超えた日本語を話し、日本の政治や世界の中の日本を、日本人の視点を越えたところから浮き彫りにして語ってくれるのが新鮮で、その見識には裏付けがあって説得力があって、素直に耳に入り理解させてくれる。日本の本を翻訳して海外で発表したり、海外の本を日本語に翻訳して発売している、翻訳家が本業という。

 

京都に暮らしていることは、昔、京都で何かの取材をした時にこの人の名前とユニークな人がいると、聞いた記憶がある。そんじょそこらの日本人より、日本の歴史、武士道、武道、日本のルーツ、天皇制度、平安時代の文学、日本の歴史、日本とアジア地域との歴史、食事の文化、明治・大正・昭和の歴史や文学史、日本国憲法、日本の原子力発電の歴史、歌舞伎、能、文楽、人形浄瑠璃、相撲、ジャンルを問わない日本の音楽にも造詣が深いという。

 

日本が昭和の軍人のテロを恐れた政治家により、中国との紛争や、勝てる目算のない、今もイランやロシアのように、経済制裁で追い込んでいるのと同じ手法で、当時の日本を経済的に追い込んで行ったアメリカや連合軍との全面戦争に突入していった経緯や、昭和天皇の役割などに付いても、僕らより深く理解しているし、平和な日本を深く愛しているし、色々な問題や矛盾を抱えながらも、70年間戦争を避けてきた、平和憲法を持つ日本をリスペクトしている。短い時間のラジオ番組なのだが、彼の話は魅力的で、日本人とは違う目線を感じてハッとさせられる。

 

アーサー・ビナードさんは、深く忌野清志郎というミュージシャンを理解している。亡くなった5月が近づくと、清志郎さんの音楽を何度かテーマとして取り上げている。高校2年生生の頃にバンドを結成して、メジャーレーベルでプロデビューした、RCサクセションの頃から注目していて、アコースティックギターを肩から下げたフォークソングのバンドから、電気楽器やドラムスやサックスやトランペットの、バンドという形態のサウンドを取り入れた、ロックンローラーへ変身していく姿は、時代こそ違え、生き方がボブ・デュランと重なるという。

 

反戦や文明への批判などを織り込んだメッセージソングを唄う、偉大なフォークシンガーだったボブ・デュランが、伝説となった野外フェスのウッドストックのコンサートで、エレキギターを握ってステジに上がって、何万人というオーディエンスから裏切り者とブーイングを浴びながらも変身していったように、その時の自分の立場を捨ててでも自らを革新していく、不条理な扱いには従わないよという反骨の心は、デュランそのものだというのだ。

 

原発の普及に反対の歌を歌えば、テレビやラジオやコンサートのスポンサーが電力会社や、原子力発電所を作ったり、関連するエンジニアリング関係会社だったりしたら、セットリストをコンサートの主催者や放送局へ提出すると、スポンサーのご意向に沿わないという理由で、唄うのに待ったがかかったり、原発を推進する政治団体からクレームが入る。レコードやCDの発売中止や放送禁止、放送局への出入り禁止や、出演のオファーが無くなる圧力のかかることもある。

 

社会に対するメッセージ性を持った音楽に関わらない方がいいと思っていた歌手で俳優の泉谷しげるさんは、清志郎さんの才能に惚れ込んでいて、一緒に音楽をやりたいと、自分のバンドのスパイスマーケットでコラボしていたが、反原発の歌など、やばい方向に清志郎さんが向かっていると思っていたという。清志郎さんは、素直に子供の世代に禍根を残したくないという思いから出たものだった。確かにいつも原発の廃炉や汚染物質の処理の問題とか、放射線漏れなど、子供たちの世代の将来を心配して、真剣に話していました。

 

どこから、誰の依頼でやってくるのか、街宣車が清志郎さんの自宅や個人事務所を取り囲んだこともある。そんな圧力に屈しないで歌いたい歌をコンサートやイベント会場で唄っている、清志郎さんを何度か目撃している。そういう圧力で変更されたセットリストの曲と違う歌を、生放送のステージで歌って、マネージメント会社は始末書の提出を放送局の幹部に求められて、自筆で書いた、僕は歌いたい歌を歌っただけなんだな、という文書をマネージャーに届けさせたという。あるTVディレクターは,生放送に出したくない人だと恐れていた。

 

翻訳家であるアーサー・ビナードさんは言う、清志郎さんの作詞した、500マイル、イマジン、デイドリームビリーバー、サントアマミーなど、カバーソングの英語の歌詞の日本語への翻訳が恐ろしいほどにすごいというのだ。英語の歌詞をそのまま日本語の歌詞へ落とし込むのではなく、英語の歌詞の単なる翻訳をいずれの曲も飛び越えていて、より作者の意思を伝えるであろう日本の言葉を探り当てて、メッセージを込めて唄っているというのだ。この人の話は深くて断然面白い!。ではでは。