クマさんのバイク専科

イマワノさんの携帯に電話をかけてみた!

僕の携帯電話の電話帳にはイマワノ携帯という番号がそのままになっている。削除することができないでいる。コンサート終わりに打ち上げの場所を知らせてくれたり、ロックンロール研究所への集合時間を教えてくれたりする。深夜の呼び出し電話もかかってくる。コンサートでご一緒したキョンキョンがきているから来ないとか、森山良子さんや。井上陽水さんの奥さんの石川せりさんのファンだと覚えてくれていて、ロッ研で朝まで反省会やっているから来ないとか誘ってくれるのだ。

 

ロッ研は録音スタジオの完全防音の建物だ。清志郎さんのギターコレクションが30台くらい置かれている。入り口にはドラムセットがセットされている。エフェクターとかオレンジのアンプがゴロゴロ置かれている。ライブ終わりの日は、お好み焼き屋さんで2次会があって、ロッ研にそのあと集合して、ライブのビデオを通しで見て、ダメ出しがある。誰かがギターを持ってチューニングが始まると、深夜にセッションが始まってしまうこともある。

 

隣に座った陽水さんが照れ臭そうにみんなを誘う、ソファーに清志郎さん、アコースティックギターのすごい音が響き渡る。曲が決まってパートが割り振られて、音合わせが始まって、外が明るくなるまでセッションが続く。疲れ果ててごろ寝して帰って行くのだ。夜中に盛り上がっているわけで、今日は確かライブだったなという日の深夜は危ない。携帯の呼び出し音が2時3時になる可能性があるのだ。ほら来たと出てみると、イマワノさんの携帯からで、女性の声で「大竹です」という。どこの大竹さんだろう?。

 

イマワノですと声の主が代わって、大竹さんがさ、一緒に自転車で走りたいんだって、今度つくばに行くから自転車作ってあげてというのだ。大竹さんてあの大竹さんですか。今日、一緒にステージやったんだよ。走り方も教えてあげてよと言われました。翌日、大竹しのぶさんの事務所から電話がかかって来て、訪問の日が決まり、1年にオフは数日という忙しい女優さんですから、どのくらい時間があるのかとか、身長とかも聞いて、これはアンカーのカーボンバイクしかサイズが合わないなと判断して取り寄せました。バイクウエアはアイベックスでアレンジすることにしました。

 

清志郎さんが体調を崩してしまい、一緒に走ることはできませんでしたが、走るチャンスがあったら連絡してと言われました。清志郎さんも気にしてどうだったと連絡して来たので、大竹さんはおてんばで、片手走行とかできて、ボトルの水も走りながら飲めましたよと伝えました。「女優さんは体力あるから一緒に走れるね」と言っていました。それから1年、武道館の復活コンサートに始まり、名古屋の復活コンサートを終わって、バンマスや清志郎さんの楽器の管理をしているしゃぶちゃんから、清志郎さんの体調がおかしいという電話をもらって、つくばから豊橋の旅館へ車で移動して、早朝に散歩する清志郎さんに会って、一緒に朝ごはんを食べて、一晩泊まって蛍を見て、僕の車で東京へ帰ることになって、そのまま入院してしまいました。

 

翌日、事務所からガンの再発が発表されました。1回目の治療後のリハビリ段階でも、今日も自転車乗ったよと、何度も報告をもらいましたが、2度目も、清志郎さんから治療経過の報告電話がありました。妙に元気がありません。腰の痛みが厳しいようです。食欲がないと言われました。5月に入ってマサローさんから亡くなったことを伝えられました。青山斎場へすぐに来て、棺を持つように言われましたが、僕は黒姫合宿中で腑抜けになってしまい、動けませんでした。気を取り直してお葬式に行きましたが、控え室で泣きはらした大竹さんや竹中直人さんの顔をみると、涙が溢れて来ました。

 

黒姫高原や筑波で一緒に走った場所を通ると、清志郎さんのことを思い出します。空へ向かって「清志郎さん来たよ」と呟くこともあります。もうあれから10年経ったとは。でも、ぽっかり空いた心の穴を埋めることができていませんね。電話番号帳にイマワノ携帯が残っています。おそるおそる発信ボタンを押すと、なんと呼び出し音が鳴りました。忌野さんのご家族が契約を継続しているのでしょうか。ひょいと清志郎さんが電話に出たらどうしようと思いました。「天国でライドを楽しんでいるよ、地球では原発事故やパンデミックで大変らしいね、言っていた通りだろ」と、言うかもしれないな。ではでは。