クマさんのバイク専科

速度無制限の道があるんだからね!

日本の高速道路の一部の最高速度が改められてしばらく経ったが、利用状況はどうなんだろう。事故件数は増えていないのだろうか。昭和30年代の車といえば、時速100kmで走り続けるのが大変だったろう。しかし、昭和の後半や平成の車ともなれば100kmなんて落ち着いたものだ。高速道路に乗るのも、法規内の速度で走るのも自己責任だ。最近の車はドライバーがハンドルを握ったり、アクセルワークやブレーキもお任せという車もあるけど、車の最終責任者は今の所ドライバーズシートに座っている人間だ。

 

スーパーカーは500馬力オーバーで、時速300kmを実現している。ドイツのメルセデスベンツが2次対戦中に軍部に求められた性能は、時速200km以上で8時間巡行だった。戦後はビジネスジェットと移動速度を競うために、300kmで8時間巡行を求められた。その大元になったのが速度無制限の高速道路のアウトバーンだ。自宅を出発して、空港へ向かい、小型ジェットで仕事先の空港に降りて、空港からオフィスへ車で移動して、到着する時間と、同じ時間で車で移動できることが、スーパーカーのスピードの基準になったのだ。フェラーリ、ブガッティ、アストンマーチン、ランボルギーニ、メルセデスベンツがビジネスジェットのライバル候補というわけだ。

 

その中でも最も信頼性の高いのがメルセデスベンツだというのだ。そう説明された当時は600シリーズだったと思う。初めてミュンヘン近くのアウトバーンを走った時は驚いた。同じ方向へ向かっている道が6車線か7車線あったのだ。もちろん右側通行で、一番左側が速度無制限、次のレーンが220km、次が160㎞、次が120km、次が100kmだったかな。80kmという車線があったかな。とにかく車のマナーが良くて、取り締まりは速度ではなく車間距離キープだった。もちろんスムーズに道を譲ってくれる。この速度で当たると粉々になるからなのか。ゆとりを持って避けてくれる。高度な自己責任の世界だからできる文化を感じ取ることができた。

 

速度制限は各レーンであるのだが、もたもた走っている車は見当たらない。各レーンの速度に合わせて走っている。左側の無制限のレーンを走っている車は少ない。丘の上でピカピカとヘッドライトが点滅したと思ったら、10数秒で真っ白なベンツが、横に並んでものすごい白煙を上げた。フルブレーキングだ。無制限のレーンを200km以上で走っていた車の、ぎりぎり後ろへ接近したのだ。普通なら気がつけばすぐにレーンチェンジするはずなのに、地元のガイドに注意していないとああなるんだと言われた。強烈な追い風の下り坂だったので350kmくらい出ていたのかもしれない。

 

ドイツの高速道路でサポートカーが機材を満載して、次のホテルへ向かって突っ走っているのを見たが、どう見ても200kmオーバーだ。スイスの工房に車を持ち込んで、オーダーで作ってもらうキャリヤは強力で、車輪も自転車もびくともしない。なるほどアウトバーンでも問題なしかとびっくりしたものだ。ヨーロッパの車を作る基準も足回りとかシャーシ剛性が重視されていて、内装や防音性に注力するラグジュアリーな日本車と、どうも注力する場所が違うらしいと感じ始めた。

 

僕は、ツールの終了後のオークションで浅田選手が手に入れた、フィアットの真っ赤な審判車で走っていたので、200kmが精一杯の車で、屋根に大きな穴が開けられた改造車なので、高速走行すると剛性不足を露呈する車だった。しかも、屋根が幌だからノイズがすごいのだ。ラジオはほとんど風切り音で聞こえない。日本車は2000CCくらいのエンジン付きで、160kmくらいから動きがデリケートになる。180km出ると目一杯な感じで緊張するので、レンタカーは日本車を借りなくなった。ワーゲンのパサートか、アウディのクワトロが定番になった。時速250kmくらいまでなら安定した走りをする。クワトロは雨や雪道に強いしね。

 

ヨーロッパで経験した最もハードなドライブは、パリ郊外のシャルル・ド・ゴール空港から、イタリアの長靴の先のレッジオという街までの3000kmという2日間の長距離ドライブもあったが、真冬のドイツの雪の降るシュツットガルト空港からスイスアルプス沿いを走って、ミラノフィエラというサイクルショー会場までの約1600kmを、夕方から早朝までに走りきったことだ。満タンでスタートして100Lのガソリンを2回給油した。走っている時の平均時速は240kmで、雪が凍結した高速道路を走っていた。人間が補給したのはコーラだけで、スイスとイタリアの国境のメンドリシオという街のレストランでビッフェ形式の朝ごはんを食べた。ここまで来れば後は山間部から下り切ればミラノなので、サイクルショーの9時オープンに間に合うので、ステーキやハンバーグやスパゲティをゆっくり食べることができた。

 

8時間くらいツルツル滑る真っ暗な道を緊張して走って来たので、さすがに頭はクラクラするし、眠ろうと思っても神経がピリピリしていて、明るくなるまで寝付けなかった。成田からのフライトがよく眠れていたので、知らない道だったが、ミシュランの地図をレンタカー屋さんで手に入れて、それを見ながら無事に走りきることができた。しかし、ドイツの速度無制限の道は、車線が多すぎてインターチェンジの移動が半端じゃなくて結構緊張するな〜。ミラノ市街の高速道路は走っている車が圧倒的にイタリア車が増えて、ダウンサイジングカーが、キーンとものすごいターボ音を響かせて、パワーを振り絞って走っている。ハイギヤードのドイツ車向きじゃない。キビキビというより、隙あらば直線でもコーナーでもぶち抜いていくという感じで、スイスやドイツのマナーのいい車とは全く違うので戸惑った、首都高のルーレット族に囲まれたみたいだ。

 

イタリアで無制限なんかにしたら、高速道路がサーキットになって、抜きつ抜かれつになってしまいそうだ。赤い車はなんでもフェラーリだし、街中でもいかれたドライバーが多くて、石畳の2mくらいの裏路地を改造マフラーの爆音を響かせて人払いしているつもりなのか、100km超えで走っているのをしょっちゅう見かけた。イタリア人のスピード好きはかなり壊れていると思った。その中でも特に自転車乗りは、マッキナはビチクレッタよりブレーキ利くし、タイヤが4つあるので転ばないとか、鉄で守られているので怖くないとか言って、スピード感覚が一段とおかしい。元自転車選手の監督が運転するチームカーは危険物だ。プロチームの監督の交通事故死が多いのも有名な話しだ。ではでは。