クマさんのバイク専科

久米宏さんがTBSラジオから消える!

土曜日の午後、久米宏のラジオなんですけどが後1回で番組が終わる。なんだかこの降板劇には、テレ朝の報道ステーションの時と同じようなきな臭さを感じてしまうのは僕だけだろうか。早稲田大学卒業で、田中真紀子さんと同級生で、東京ブロードキャスティングシステムに入社して、アナウンス部のエリートと目されていた、ラジオもテレビでもエースアナウンサーだった。一見バラエティ畑で活躍しているように見えた、タキシードを着て蝶タイつけて、座トップテンという花形音楽番組のMCを黒柳さんとやっていたので、こういう路線で行くのかと思っていた。

 

TBSのアナウンス部門には現場引退の肩たたきがあって、管理職への道が残されている。久米さんはTBSを早期退社してフリーアナウンサーに転身して、テレビ朝日の報道ステーションのニュースキャスターになって、ニュース23とのライバル関係はいい意味で素晴らしかった。それまでのニュース番組とは違い、仕事から帰ったサラリーマンがほっと一息ついた、大人の時間帯にニュース番組がコンバートされたのだ。それまでのニュース番組は、時間も短く、アナウンサーが感情や評論を加えることなく、ニュートラルに伝えるものだった。世の中であったことをそのまま伝えるのがニュース番組だったのだ。

 

筑紫哲也さんも、久米宏さんも、1日のニュースの中からピックアップすべきものを彼らのフィルターを通していくつかを厳選して、1時間かけて記者と共に深掘りする技法を採用して、ちゃんと自分の考えを含めて解説を加えて評論していた。単なるニュース番組ではなくなっていた。ワイドショーみたいに数字の取れるニュースではなく、そのニュースを取り上げる社会的な意義が根底に流れていた情報番組になっていた気がする。

 

テレビ朝日には時の政府や与党や野党の政治家からプレッシャーがかけられていたそうだ。久米さんはオフィストゥインワンという個人事務所を運営して、このニュース&情報番組に全力投球していた。久米さんのなかにある、ジャーナリスト魂というより、人間性なのだろう。時の政府や総理大臣にもおかしなことがあれば噛み付いた。議員やお役人達が、久米さんやコメンテータのーのオピニオンを気にするほどの影響力があったのだ。

 

どうもいまだにテレビ朝日と久米さんとのお別れの仕方が腑に落ちない。辞めたのか、なんらかの理由で辞めさせられたのか。なんか納得のいかない降板劇だった。彼らの世代の深夜のニュース番組はメンバーが入れ替わって継続されているけど、権力の動きをチェックするというメディアに課された重要な役割を全うしているかよいう意味で、記者クラブ制度に丸々乗っかって、広報や大臣のいうことをそのまま流している感じが強くなって、鋭い突っ込みというスパイシーな部分で面白くなくなった気がするな。

 

2020年、久米さんはアスリートファーストを錦の御旗に掲げた、オリンピックの「お・も・て・な・し」誘致への無批判さに憤っている。まさにやっていることが「オリンピック誘致ファースト」だと批判しているのだ。それを理由にオリンピックの開催に反対の立場を表明していた。これはアメリカの実業家が実行委員会を指揮して、徹底的にスポンサードを獲得して、巨大な利益を上げて、IOCが商業主義の方針に舵を切ったロス五輪から、サマランチやバッハ会長以降、ずっと反対の立場を標榜していた。

 

東京オリンピックの開催日程について、東京の7月8月の受け入れと、招致表明は、とにかく東京での開催がファーストで、スポーツする人や、見る人の健康とか、コンディションはどうでもよくて、スポーツに対するリスペクトのかけらもないとはっきり言っていた。

その放送を聞いた、オリンピックの実行委員会は、放送局に反論の手紙を書きました。IOCがアメリカのNBCネットワークの10200億円の放映権スポンサーの意向に沿って、2020年の7月から8月開催が条件としてあったから、日本側から何も言えず、承知の上で立候補したというのだ。

 

最初からIOCとの交渉の余地がなかった、と言いたかったのだろうが、灼熱の東京で競技をやることは百も承知で、経済効果、復興五輪を謳い文句に、オリンピックを招致することが優先されていたのだ。オリンピックの年に入って、年を越えてすぐに久米さんの番組のコメントに棘を感じるようになったのはボクだけでしょうか。なんか久米さんが強力にリーダーシップを発揮して、2時間の番組の内容をプロデュースしているのではと感じるようになりました。それまでもインタビューのゲストは、感染病理学者など、社会に埋もれているけど、パンデミックを回避するための重要なヒントを与えてくれるような人が厳選されていた。

 

振り返って見るとすごい人選だったことが分かる。ただ首相やお役所や、オリンピックに、皮肉を言っているだけのおじさんじゃない。85歳になって、考えたり思ったりしたことを言葉で適確に表現できなくなったから、ラジオを引退することにしたという。1月には降板が決まっていたらしい。僕はTBSの永六輔さんの土曜ワイドが大好きだった。永さんが病気が原因で転んだり骨折したりで、車椅子生活になって、おしゃべりもタドタドしくなって、お話ししていることが聞き取りにくくなって、涙もろくなって、放送を入院してお休みしたり。それでも一生懸命聞いていた。そういうTBSの姿勢が気に入っていた。

 

永さんが亡くなるまで聞き続けようと、最後の放送が終わっても、1ヶ月ぐらいは土曜日の朝はTBSに合わせていた。今回は久米さんの番組が無くなるわけだが、久米さんがヨレヨレになるまで話を聞かせてほしかった。スポンサードも、聴取率も、放送局には角の立たないお話の内容も重要なのかもしれないが。メディアから反骨の人がまた一人いなくなるのか、つまんね〜世の中だな。ではでは。