クマさんのバイク専科

小沢昭一さん、永六輔さん、野坂昭如さんの時代

B級映画、カウボーイが馬に乗って、しかもギターを背負って、悪党を相手に拳銃をぶっ放すような、国籍不明映画の中で、小沢昭一さんは不思議な雰囲気を発する俳優さんでした。俳優として興味が合ったわけではなく、名もない芸能を語る姿がなんとも言えず、講演を聞きに行くと。まるで夜店で腕のいいバナナの叩き売りが、額に汗を浮かべてタンカ売をしているような引き込まれ方をする存在感で、子供の頃、米海軍の兵隊がウロウロしていた横須賀中央駅近くで見たのを彷彿とさせるもので、思わず「買った」と言ってしまいそうなくらいの迫力でした。

 

演壇と座席とはかなりの距離がある広いホールでしたが、文化講演会と言うようなものではなく、地元の古老が、お祭りの伝統的なしきたりを若者達に伝えるような、大切にしたい神聖なものを伝えるような、凛としたものがあって、先達の小沢さんの一言一言に引き込まれ、いつの間にかぞくぞくして鳥肌がっ立って、ゆったりした座席なのに、前のめりになって手に汗して聞き入っていることに気が付きました。

 

しかも、魅力的な噺家の古典落語を聞いているような安心感と心地よさ、まるで見たこともない語りの世界が、言葉を発するたびに、鮮明に頭へ描けるほどの臨場感です。小沢さんが語るのは、世代も違うし、ほとんどリアルタイムでは体験していない、大道芸人、古典芸能の世界の話でした。

 

TBS ラジオだったかな、「小沢昭一の昭一的こころ」、短い尺でしたけど、ラジオ番組としてはかなりシュールでインパクトがあったと思います。その内容は、サラリーマンあるある的なこともあったし、アンダーグラウンドなことも放送コードぎりぎりで触れていたし。大道芸人の話もありました。これは人間として大事なことだぞ、若者達よ忘れんなよ、と言われているみたいで、クルマのラジオや、ソニーのスカイセンサーというワイドバンドレシーバーで聴き入っていました。

 

永さんも小沢さんも、名もなく貧乏だけど心豊かな大道芸人にスポットを当てましたが、永さんはギャグ漫画家の赤塚不二夫さんや、TBS アナウンサーだった林よしおさんが推したタモリさんを、TBS の土曜パックインミュージックに招いて4カ国マージャンなどを演じ、メジャーデビューのきっかけを作ったりしました。何人の芸人さんや滅びそうになっていた古典芸能が、永さんに背中を押されて、世の中にお披露目されたか分かりません。東西の文楽の講演が満杯なのも永さんの功績と言えるでしょう。着物を作るにも、国宝のお寺を建て直すにも尺貫法が使われています。お上がmm単位以外は法令違反と定めると、鯨尺を持って講演会で売り歩いて、ラジオで捕まえてくださいとアピールしていました。その1本をボクも買いました。

 

ロックンローラー忌野清志郎さんとの親交もありました。カバーした、「上を向いて歩こう」を聞いて、何百もカバーしている歌手がいるなかでも、その歌い方を気に入って、清志郎さんがステージで叫ぶ、ラブ&ピースの思い、放送局への出入り禁止や放送禁止を帰り見ない反骨精神は、永さんの平和を愛する心と通じると深い親交が生まれました。実は、永さんは古くからの自転車乗りで、クロモリのオーダーロードバイクに乗っていた時期がありました。元競輪選手でパリで抽象画を描いていた加藤一画伯とも親交が合って、自転車生活に関する共著を残しています。だから、永さんの関連するラジオのワイド番組には、自転車振興会などがサポートしていたのです。

 

この二人を語るとき、欠かせないのが作家でエッセイシストの野坂昭如さんです。俳優、放送作家や作詞家、作家と、3人とも違う道を歩みましたが、早稲田大学で出会って、しかも学費が払えなくなって中退という共通点がありますが、3人ともがそれぞれの戦争体験があって、日本の平和を願っていたことでも共通しています。3人とも故人になってしまいましたが、ボクの平和に対する考え方に影響した、尊敬する先達たちです。

 

永さんとは何度かラジオ放送の合間に赤坂の旧ホテルオークラのラウンジでお会いして、コメントの収録で長い時間お話しいただいたり、アップした原稿を読み込んでいただき、細かく直筆で手直しいただいたこともありました。日本語の使い方、平和に対する考え方など、厳しくも、周りに気遣う優しい方でした。ありがとうございました。ファンの一人として、心からご冥福をお祈りいたします。大好きだったこしあんのおはぎとたまごのサンドイッチを持って伺います。ボクはつぶあんが好きなので墓前でお相伴させてもらいます。苦いお茶が一杯こわい。ではでは。