クマさんのバイク専科

あっぴーさんありがとうございました!

あっぴーさんとはいつ出会ったのだろう。もう10年は越えていますよね。まだボクが50歳台で体重が80kgオーバーだった頃です。けっこうハードな仕事をこなしていたフルタイムワーカーのあっぴーさんでした。大ぐらいだったのでお昼ご飯を多めに注文しては、あっぴーさんに一緒に食べてもらって、お昼ご飯後のライドはしばらくお腹いっぱいでしたが、そこでひともがきすれば、誰も付いて来れないだろうと、ダッシュするも、誰も彼もが付いてきて、となりに並んだあっぴーさんが、「食べたものがこみ上げて来た〜」と、よく走りながら顔を見合わせていたのを思い出します。

 

あっぴーさんは、一般的な朝から晩までの仕事時間ではなく、早朝と言うより深夜に起きてクルマを運転していたので、いつ休んでバイクのトレーニングをしていたのかな。ヒルクライムのスピードアップを目指して走り込んでいたみたいです。お休みが合うと、時々日曜日のモーニングライドや、土曜日のマジカルミステリーツアーへ参加してくれて、そういう時はビギナーライダーの参加があると、最後尾を走って、遅れていないかとか見守っていてくれたり。

 

分かれ道では、先頭グループが先行してしまうと、離れてしまったライダーが途中で道が分からなくなるだろうからと、何もお願いしていないのに気を使ってくれて、曲がり角で後続のライダーを待っていてくれたりしていました。よくつくばの安全に走れるコースを知っているので、グループライドの先頭をリードしてもらったこともありました。安心して任せられるライダーだったので、しょっちゅうお願いして、ボクは後ろに遅れた人達とのんびり目的地へ走らせてもらいました。

 

ボクも昔は現役時代の走りを取り戻したいと思って走っていたけど、50歳を越えると競争する辛さ、耐乳酸性を高めるトレーニングをしたくなくなりました。週末の2日間で1日に100kmも走れば疲れるし、筋肉痛になったり、しっかり食べても、疲労が週末まで回復できなくなってきたことを感じるようになりました。50歳を越えて、苦しくても頑張るという言葉がボクの辞書から無くなりました。そうそう、上り坂を頑張って走るという、応用問題にもだいぶ前から取り組めなくなりました。元々長い上り坂は苦手でしたけどね。

 

60歳を越えたボクの年代は、親を面倒みる時期になりました。90歳を越えた母親が認知症になって、カギを壊して家を飛び出して徘徊するようになって、危険だし、家族が24時間の緊張と、その対応で疲弊してしまい、悲しかったけど、医師が常駐する専門の病院を探して入院させました。当然、親父も90歳目前で、背骨を圧迫骨折したこと、頭をケガして手術を受けたことも忘れ、腰が痛くて杖を付いてベッドから起き上がっているにも関わらず、ボクが入院している間に面接した要介護認定の人の前で、腰が痛いにも関わらず、無理してぱっと立ち上がり、元気なところを見せて、認定の度合いを引き下げてしまいました。

 

そういう90歳に近い老人の姿を見て、本当のことを見抜けないプロのはずの要介護認定の人にもどうかと思うけど、もしもの時のカバー範囲を狭めてしまうことになる不利益を考えられない、老人独特の見栄を張っている、しょうもない爺さんになっていることでも、親父を好きだし尊敬しているけど、記憶違い、気が短くなっていること、言っていることとやっていることのギャップ、自分のやっていることの正当化など、衰えを認めようとしない姿や、勘違いしたり忘れたりを自覚したり、痛みや実際に動けない自分に沈み込んだ姿を見て、もう長くサポートしているので心を痛めています。

 

あっぴーさんは病気が明らかになったお母さんの今後のサポートを考えて、そして、継続できる仕事を確保するために年齢も考えて、秋田への移住を決断したのだそうです。これから大変なこともたくさんあると思いますが、あっぴーさんらしく生きてください。自転車生活も続けてくださいな。昔ほど秋田は雪が降らないかも知れませんが、冬のライドはきついだろうから、室内トレーナーやジム通いで体を動かすことになるのかな。時間ができたら黒姫高原やつくばへ遊びに来てください。

 

今日はこれから東京に出かけて、あっぴーさんに送別のための贈り物を探しに行ってきます。今週末にでもつくばで会えるとといいな。土曜日か、日曜日の午後には、お腹の傷の痛みがなければ、ほんの少し自転車に乗ってみようと思っています。あっぴーさん、いままでありがとうございました。元気に健康で過ごせることを心から祈っています。ではでは。