クマさんのバイク専科

ロードバイクの組み立てって際限が無くなります

昔、北イタリアのクサーノの小さなフレーム製作工房兼サイクルショップだったデローザは、選手へ供給する、スミズーラのスチールチューブを、オリジナルのショートポイントのイタリアンカットラグでロー付け溶接したロードフレームやピストフレームを製作する傍ら、量産メーカーの折り畳みフレームのロー付け溶接も委託されて製造して過ごしていました。60年代から70年代当時は、イタリアやフランスの小さなフレーム工房が、プロチームと提携してフレームを供給することが多く行われていました。

 

小さな工房はプロチームに所属する選手の人数が20人前後、その選手1人に年に3台から4台フレームを供給することになります。3台で60本、4台で80本製造して供給することになります。小さな工房にとっては大変な作業量です。でも、デローザの目指す供給先の事情は少し違っていました。ターゲットの選手はジロやツールやヴェルタで何勝もしている有名選手でした。しかも、自分の名前を冠した完成車をベルギーのケッセル社から発売していました。さらに、コルナゴの腕っこき職人が製作したフレームに、自分の名前のロゴを入れて走っていました。

 

オーナーでフレームビルダーのウーゴ・デローザのサクセスストーリーは、水面下で少しずつ進行していました。マネージメント能力でブランドとして力を着けていた、イタリアのエルネスト・コルナゴとのジョイントに終止符を打った、ベルギーの英雄、エディ・メルクスとのジョイントのチャンスがやってきます。メルクスが使うフレームを製造して供給することになります。公式にはバイクフレームは1ブランドのみの表示しか許されないので、エディ・メルクスのフレームということになります。

 

それまでのメルクスは、ロードレースもアワーレコードも、コルナゴのフレーム製作部門のレパルトコルセで、凄腕の溶接職人として働いていた、軽量な肉薄チューブで組むフレームも、見事に溶接できるマリオ・ロッシンが作るフレームに乗っていました。当時、現役プロロード選手でありながら、コルナゴのフレームにエディ・メルクスのロゴを付け、メルクスオレンジと呼ばれる色に塗装してケッセルが作るエディ・メルクスと同じルックスに仕立てて乗っていました。フレームを供給していたエルネスト・コルナゴとは、この辺りが原因でビジネス的に折り合わなくなっていたのだと思います。

 

ウーゴ・デローザはメルクスの条件を飲んで、エディ・メルクスブランドでフレームを供給することを承諾して、ジョイントビジネスはスタートします。コロンブスのスプリント用の肉厚のチューブなどを採用、ナベックスプロを削り込んだデローザオリジナルのショートポイントのいたりアンカットラグで組み上げています。フレームは治具に載せられて設計スケルトンに合わせて固定して、ドリルでノックピンを打つポイントに穴が開けられて、プロパンバーナーで仮ロー付け溶接をして、治具から外して本ロー付けする台座に移して、本ロー付けして、ヤスリで入念に仕上げて、微妙にスケルトンの違う剛性の高いフレームを何本もメルクスの試乗のために用意したそうです。

 

そのデローザの工房には、長澤義明という日大で自転車選手として活動、けがンためにメカニックとして経験を積んでいた日本人が働いていました。後に大阪で中野浩一選手のピストフレームを製作するナガサワレーシングサイクルの創業者です。イタリアでの修業時代から、世界選のメカニックとしても日本チームを支えました。メルクスのスポンサーはイギリスのフレームチューブメーカーのレイノルズ社が関係していたので、デローザで製作されたメルクス用のフレームには、レイノルズ531のギャランティマークがシートチューブの上端に張られていました。でも、実際にフレームやフロントフォークに使われていたのはコロンブスのチューブでした。

 

メルクスからのフレームへの注文は、時速70kmくらいからのブレーキングでバイブレーションを起こさないこと、ハンガー周辺の剛性が確保されていること。ハンガーシェルの上の面からシートチューブとトップチューブの交点までが、560mm以上のフレームサイズなので、フレームやフロントフォークの剛性感、直進安定性を重視していたそうです。塗装の工房から仕上がって来たフレームの巻き紙をはがして、カンパニョーロのレコードやスーパーレコードのコンポーネントを組み付けるのが長澤メカニックの仕事でした。作業する長澤メカニックに、ウーゴは「神様に捧げるつもりで組め」と厳命したそうです。

 

真っ白なコットンのベロフレックスのバーテープの巻き上げは、ウーゴ自身が丁寧に巻いてから汚れを防ぐためにラップをかけたそうです。帰国して工房を開いた長澤さんに、この話を聞いて「神様に捧げる」という分けにはいきませんが、そういう気合いを入れて選手用のバイクやお客様用のバイクを組み上げることを心がけるようになりました。ではでは。