クマさんのバイク専科

乗鞍の帰りにビースポシーンヤに寄りました

ブリヂストンサイクルのハイドロフォーミングのスチール製のネオコットや、カーボンのネオコットシリーズなどの開発を担当したり、近年ではGDRのカーボンフレームを開発していた新矢豊さんの熊谷のプロショップです。ブリヂストンサイクルを退社して、仲間に手伝ってもらって建てたというログハウスの店舗ト事務所には、ブリヂストン・アンカーチームのメカニックを担当していた時代に始まっていた、当時のスポンサーホイールだったマヴィックの何種類化のホイールを新矢チューニングしたモデルや、GDRの終盤の製品のカーボンディープリムホイールなどが置かれていました。

 

そして、棚には製造拠点をイタリアに戻したという、コロンブスのカーボンフォークが色々置かれていました。シクロクロス用のMTB 台座や最新のフラットマウント付きのディスクブレーキのモデルもありました。事務所の側のログハウスの居間に案内されて、ディプローストをさらっとドリップしたという珈琲を入れてもらい、5年後の油圧ロードディスクブレーキの繁栄の話し、ブリヂストンサイクルの現状と、ブリヂストン・アンカーの立たされている状況も教えてもらいました。

 

新矢さんとは、ブリヂストンの開発や、アンカーチームのメカニックをやっていた頃からのお付き合いです。浅田監督時代、ツールド北海道のブリヂストン・アンカーのメカニックスタッフに加わり、機材トラックを運転してホテルへ先回りしたり、レース後の機材を洗車したり、調整したりという、新矢さんのお手伝いをしました。それが縁になって、ブリヂストンサイクルを辞めてサイクルショップを始める前、浪人中の新矢さんを誘って、オーストラリアやスイスのトライアスロンの世界選のメカニックに参加してもらいました。

 

GDRに移ってからも、何故か成田空港のロビーで中国へ行ったり来たりしていた新矢さんやそのスタッフと会ったり、東京のメーカー展示会などで会ってはいましたが、新矢さんの新しい仕事を雑誌で紹介することになって訪ねたのは、日本のブランドとしてカーボンフレームの製造を開始した秩父のGDRの開発ラボでした。訪問した時は、まさに開発の試行錯誤の段階でした。ステンレスのラグ、チタン合金製のラグ、カーボンのラグがプロトタイプ製作の素材に上がっていました。メイタンチームに所属していた新城選手用など色々な仕様や寸法のバイクに乗せてもらいました。カーボンチューブ&カーボンラグ仕様、カーボンセミモノコック仕様など、GDR の製品ラインナップが決まってからも乗せてもらいました。

 

独特のしなりがあるフレームと言うのが全てのモデルに共通した印象でした。日本ブランドでも実績のないフレームメーカーが、スポーツバイクの世界で、高価なカスタムフレームの販売実績を上げて、会社が投資した金額に見合った利益を生み出すのは難しいと思っていました。宣伝、販売ルートの構築、実績をレースで上げるチームとの提携、いずれにしてもフレームの製造を始めて数年で利益を上げて、事業の継続が難しいことは見えていたので、これはマネージメントの難しい事業だと思っていました。

 

開発ラボが日本で、生産拠点がGDRのカーボンシャフトやゴルフクラブなどを生産している中国という、フレーム、フォーク、ステム、ホイールなどの展開が始まった段階で、当然、GDRは大企業ではないので、イメージ戦略としてスポーツバイクの製造部門を継続することはできず、会社組織は投資に見合った採算を求めてきて、それが難しいことが分かると、事業展開の撤退を決定しました。退社して、久し振り出会ったけど、まだまだ何か新しいことにチャレンジする意欲があって、関わって来た選手や仲間達の動向を心配もしていたし、元気にやっている新矢さんに会えてよかった。今度は何か美味しい物を食べに行きましょう。ではでは。