クマさんのバイク専科

愛媛県八幡浜名物のじゃこ天にはまった〜!

近所のコンビニで売っている、あらびきの魚肉ソーセージにはまっていた時期がありました。ちょっと塩味のものを食べたいときに重宝していました。魚肉ソーセージとのお付き合いは、昭和の30年台の後半、まだ牛や豚のお肉が高値で憧れの時代、タンパク質の供給源としてクジラのお肉やベーコンが花形でした。久里浜港に面した港湾技術研究所の岸壁で、親父と海釣りしていた時に始まります。クルマはヒルマンミンクスやルノーなど、真ん中の柱からベロのようなウインカーが腕を上げるように飛び出す構造の時代です。東京オリンピック直前でしたが、物質的には豊かではありませんでした。

 

家は国鉄の久里浜駅の近くの運輸省の官舎でした。庭で大きなコリーを飼っていました。この小さな街には小学校時代の友人がいっぱいいます。遊びの場所は野球(三角ベース)の広場、海岸、港、ザリガニ穫りする田んぼや水路、平作川、国鉄のローカル線の線路、カブト虫ややドングリを穫りに行く里山などでした。日曜日になると実用車の荷台に座布団を敷いて、親父の背中にもたれかかって、4kmほど平作川に沿って河口へ向かって2人乗りで、港湾技術研究所の岸壁への移動です。当時は親父の唯一の趣味が海釣りでした。早朝に起きた親父は岩いそめとかゴカイという釣のエサを手に入れています。

 

お昼時になると、あんぱんとか、他の飲み物よりちょっと高い瓶入りのコカコーラと、真っ赤な袋入りの魚肉ソーセージを、平作川が海に合流する地点の開国橋を渡ったすぐのところにある雑貨屋さんで買ってくれます。これを食べながらコチ、メバル、アイナメ、カレイ、黒鯛などを釣って夕方まで続けるのです。釣れた日の夕飯は美味しい魚がいっぱい食卓へ並びました。久里浜港の東京湾フェリー乗り場の近くに、丸は大洋漁業の魚肉ソーセージの工場がありました。この工場の廃液に中に魚のすり身が含まれていたらしく、アジがいっぱい集っていて、ピカピカ光る針だけでもアジを釣れるエリアがありました。

 

3時過ぎの放課後にバケツと竹の釣竿を持って、ハリスと針を持っていきます。魚肉ソーセージ工場前の岸壁に遊びに行きました。エサ無しの針を入れるとアジが引っ掛かり、3時間ぐらいで30匹も40匹も釣れました。バケツから溢れたアジはビニール袋に入れて持ち帰りました。母がアジの唐揚げを作って、当時売り出されたばかりの大きなタッパウエアに、刻んだ長ネギたっぷりの南蛮漬けの醤油多めのタレをいっぱい作って、揚げたてのじゅーじゅーいっているアジを放り込んで行きます。熱々のやつも美味しいのですが、電気冷蔵庫(氷を入れて冷やすのもりました)で冷やされて、1晩つかって馴染んだヤツも最高に美味しいんですね。

 

夕飯で数匹食べて、タレが馴染むのを待ちきれずに深夜にタッパを開けて、こっそり2〜3匹食べて、朝起きたら、ナショナルの電気釜で炊いた熱々の真っ白いご飯に、一晩寝かせたアジの南蛮漬けを3匹くらい乗せて食べるのが楽しみでした。しなしなになった長ネギがまた美味しいのです。色々南蛮漬けを見つけると手に入れて食べていますが、母の作ってくれたアジの南蛮漬けとは違うので、記憶しているレシピどおりに、自分で小アジを買ってきて唐揚げにして、南蛮漬けのタレを作ってつけ込むしかなさそうです。ウ〜!、あれを食べたい。

 

そんなことを思いながら魚売り場をうろついていると、愛媛県八幡浜のじゃこ天というのを見つけました。東中野の四国屋さんという讃岐うどん屋さんで、じゃこ天は食べていたので馴染みがありました。四国屋さんのは四国の香川から取り寄せているじゃこ天を揚げておろしと九条ネギを添えてつまみとして出してくれます。手に入れたのは株式会社ヒサシ水産という八幡浜の会社の製品です。フライパンで温めて、おろし醤油と九条ネギを沿えて食べてみてびっくり、お魚の旨味がジュワーっと広がって、思わず「旨い!」ってうなずいてしまいました。スポーツバイクつくばマツナガのおかみさんのみちこさんが四国出身なので、懐かしいかもと思ってアイスボックスに入れて、つくばへ届けました。食べたみちこさんは、クセのないすり身のさつま揚げなどが多いのに、これは魚っぽくて旨味があって美味しいそうです。ボクもこのじゃこ天にはまりました。ではでは。