クマさんのバイク専科

浅田監督に電話をしてみるとフランスでした!

80年代から90年代に、日本を飛び出して、ヨーロッパでプロロードレースを走っていた選手達が、日本のロードレースの指導者の立場になっています。フランスで主に活動していた浅田くんは、日本のプロロードチームを選手やスタッフごと作り上げて、日本人選手が遠回りしないでヨーロッパのロードレースへ参戦できるシステムを作りました。でも活動資金難に襲われて、プロチームの運営の状況は停滞したりしていました。

 

高校生をソ打つ凝視てから所属した実業団チームのブリヂストンアンカーの監督や、アンダー23のチームの育成にも力を注いで来ました。そして、ヨーロッパで戦うチームの運営も手がけましたが、なかなかブレークスルーできません、選手育成としては別府選手のトレーニング始動、新城選手のトライアウトからのピックアップ後のトレーニングアドバイスなどで手腕は定評があります。後は年間2億円以上必要という活動資金の調達だけです。

 

そんな浅田くんにナショナルチームの異動者の立場が回ってきました。それまでもナショナルチームとしてアジアでレース活動するチームのスタッフや監督を引き受けていました。今度はナショナルチームの監督です。リオ五輪から2020年の東京五輪のロードレースの強化を継続してできる立場になりました。ロードレースは肉体の充実も大事ですが、ヨーロッパでの激しいレースの中での経験により養われた、レースの勝負どころを見抜いて動く判断力も重要です。

 

という事はアンダー23の選手を日本から連れて行って、高いレベルのロードレースを走らせただけではダメで、選手の技量にあったクラスのロードレースに出て(これを選ぶのが大事)、レース展開に混ざり逃げ集団や追撃集団で走り、レースの動きを目で見て体で感じ、1つ1つのレベルの高いロードレースに対応して、判断して動ける力を身に付ける事が必要です。

 

だから、単純に力比べではないので、一人前にレース展開を読んで、優れた体力でバイクを前に進めて、逃げに乗ったり、追いかけたり、できる力をつけるには5年とか10年の経験値が必要なのがプロロードレーサーです。いかにプロロードレーサーの育成が大変かは、日本に厳しいハイレベルのロードレースという土壌がないので大変なのです。

 

ある人の最新の電話番号を知りたくて、藤沢のサイクリングツアーガイド会社のリンケージの代表の田代くんとか、ブリヂストンサイクルの広報の宮崎くんへ電話してみました。みんな実業団のチームリマサンズ時代に選手として走っていた選手達です。チームのジェネラルマネージャーは、ヨーロッパのプロロードチームに所属して現役選手として走っていた浅田顕選手でした。バリバリ走っていて、半年ヨーロッパ暮らしでしたが、トレーニングメニューなどのやり取りを選手としていました。

 

実業団選手としてどうなるか分からない選手をピックアップして、育成チームとして国内のレースを走っていました。時にはボクが名目上の監督をすることもありました。監督会議とか出てツールド東北とかツールド北海道のルールを把握するんです。どうしても必要な電話番号が分からないので、浅田くんに電話をかけてみると、妙に遠い感じで土管の奥でベルがなっている感じです。これは海外ローミングかなと思いました。すぐに留守電に切り替わりました。浅田くんはいま日本代表の監督です。

 

春先に大腿骨骨折して手術して、リハビリに取り組んでいる新城くんを、完治していない状態で代表メンバーに指定する決断をしたばかりです。左右のバランスを崩したまま、新城くんはツールで走っています。やっぱりキャパシティが大きいし、経験値もちょうどいいんでしょうね。きっとオリンピックのナショナルチームの準備とかで忙しいのだろうと、半分返電をあきらめました。すると、暫くして折り返しで浅田クンから電話がありました。いまフランスです。その電話なら分かりますからメールしますという事でした。電話番号ありがとう助かりました。リオ頑張ってね。ではでは。