職人マツナガ通信

10月6日

イタリア就職記 (46 最終回)

P工房で働き続けるのはあきらめましたが、
僕のなかでもう少しレースの本場で仕事をしたい希望がりましたので、
他の工房もあたるつもりでしたが、
出発に前にひいた肺炎一歩手前の風邪に、
滞在中もずっと悩まさせられいたので、
とにかく一度日本へ帰ることに決めました。
そうして、年末も押し迫った頃、成田におりたちました。

最初にも書きましたが、
今回のイタリア就職は、
最初にイタリアありきではなく、
自分の仕事が希望の環境でできるとこ、
でイタリアになったのです。
これが、アフリカとかメキシコとかでしたら、
きっとそちらに行っていたと思います。
ただ、いってみてイタリアでよかったと思います。
たしかに約束がルーズであったり、
こねがなければ何も出来なかったり、
信号は無視、2重3重駐車は当たり前だけど、
人々が陽気ですごくフレンドリーな感じをうけました。
僕が居たのは北イタリアで、南のほうはしりませんが、
ほとんど人種偏見を感じることなく過ごせました。
また、日本のレースバイク界にありがちなイタリア製品至上主義を、
少しでも打ち負かせたらという思いもありました。
イタリアのD社のバイクはなんか加速がいいだよね、
とか、C社のバイクは疲れないしよく進むとか、
イタリア製ということだけで、
なにか特別違うような神がかり的な話になってしまう。
日本の自転車作りだって、
すてたもんじゃないんだよ、
ということを、イタリアでフレームをつくることにより、
日本へアピールしたいという思いがありました。
自分の目標に対して100%は達成出来ませんでしたが、
この後の仕事の肥やしにはたっぷりとなったと思います。
今回でこのイタリア就職記は最終回となります。
おつき合いただみなさま、どうもありがとうございました。