職人マツナガ通信

2002年 3月11日

今日はめずらしく、シゴトが予定通りにはかどり、ムッフッフ。

そして、いつもの自分を見てるような、他人様の、
こんなはずじゃなかったシゴトがみられて、ムッフッフ。
 
流郷克哉くん。
去年まで日本鋪道チームで走っていて、
その前はリマサンズで走っていた、
日本ではランキング上位のロード選手です。
今年は、フランスのクラブチームに所属して、
今までの選手生活の総決算をする予定です。
そんな彼とはリマサンズからのつきあいで、
今年はできたら、今までで一番成績がでた、
ボクのフレームに乗りたいと、プロポーズをうけたました。
彼の人柄から、できるだけ協力したいと思いましたので、
微力ながらできる限りの応援ということで、
ボクのフレームをサポートすることに。
 
そんなわけで、3月19日に渡仏するのに、
何とか間に合っったフレームを自分で組み上げるために、
今日つくばへ来たのです。
彼のもくろみでは、2,3時間で組み上げて、
さっさと引き上げて、デートをする予定っだったらしいのですが、
そうは問屋はおろさない、と予定外の事が続発。
極めつけは、予定より5時間くらい遅れて、
ようやく組み上がった自転車を前にして、
自分で組み上げたと自慢していた、
シマノホィールの組み方間違いが発覚。
なんてこった!
完璧に組み上げたと思って、
インプレもかねてガンガンに坂をくだっていた車輪だそうだ。
(命があってよかったね)
本人迷ったあげく、どうしてもフランスへもっていきたい
ホィールだったらしく、デートをキャンセルして、
組み直しの決意。
(彼女かわいそ~に)
 
ボクは今日は、営業時間終了(21:00)から、
フレーム製作仕事をやる予定にしてたので、
流郷くんも、ボクの横でモクモクと車輪組みなおし。
お互いの作業が終了したのは、12日午前1時すぎ。
流郷くんの、自転車一台組み上げ作業時間、実に13時間。
その後彼は、9時間近く遅刻のデートに、
そそくさと帰っていきました。
 
さっさと忘れろ自分の失敗、
大いに楽しめ、他人の失敗、ムッフッフ。
 
あと、今日はエキップアサダのホィールふれ取り、
10数本というシゴトがありました。
ふ~、肩こった。
 
エキップアサダ。
アサダ監督(現ブリヂストンアンカー監督)が、
現役の頃、リマサンズと契約して、
立ち上げた若手育成のためのチーム。
現在はブリヂストンのサテライトチームとして活動。
ボクはアサダ監督の自転車レースに対する情熱に、
いつもアタマが下がる思いで、
彼の活動に関してボクのできる限りの事を、
協力したいと思ってます。
そんなからみで、今回はチームのホィールのチェックシゴト。
二十本近くあるホィール(すめてボクが組んだモノですが)を
みていくうちに、
「9504 ASADA」というステッカーが、
はってあるホィールがありました。
ボクが組んだギャランティマークで、
95年の4月に組んだということです。
これは、アサダ監督が現役の頃、
彼のために組んだホィールなんでしょうね。
95年というと、引退する一年前のものかな。
96年のオリンピックをめざして、
股関節の血行障害と戦いながら頑張っていた頃かな。
(今のオヨメサンとであったのもこのころなのかな)
なんか、ちょっと、しみじみとその頃を思い浮かべてしまいました。
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