職人マツナガ通信

イタリア就職記 (17)

アクションをおこしてから9ヶ月、ようやく出発にこぎ着けました。

本来なら希望にもえて、目をランランと輝かせての旅立ちなのでしょうが、自分の不注意から最悪の出発となってしまいした。
準備の忙しさと、自分の不注意からたちの悪い夏風邪にやられてしまいました。
肺炎一歩手前までという最悪の症状がでてしまい、それでも出発日までになんとか小康状態にはしたのですが、
出発当日も抗生物質をのみながら、という、腐った鯖の目状態のなさけない出発となってしまったのです。
それまで夏風邪など引いたことがなかったので、自分を過信しすぎて油断をしてしまったのですね。

結局この体調の悪さがあとあとまで尾を引くことになってしまい、今思えば若かったということなのでしょうが、出発までに多くの人に助けてもらってきたのに、こんな最悪な状態でのスタートにしてしまい、大いに反省すべき点でした。

とにかく、賽は投げられたので、やるしかなく、’91年9月上旬今年二度目のミラノにむかって成田を飛び立ちました。