職人マツナガ通信

イタリア就職記 (16)

そうこうしているうちにドンドン時間が流れていく。

P氏からは相変わらずかんばしい返事も来ず、ん~、どうしようかと業を煮やした頃、最初にK氏を紹介してくれた雑誌社のF氏が、仕事でヨーロッパへ行くことになり、乗りかかった船ということで直接交渉してくる、と申し出てくれた本当にありがたいことと感謝、感謝。
ボクの人生、いつもこんな感じで綱渡り状態、首の皮一枚で何とかつながることの連続ですね。

自分の要望書をF氏に託し、P工房に関してはこれが最後のアプローチだなと腹をくくり、一切をF氏に委ねました。
そうして、数日後、”タッタッタ” とファックスがはいってきました。
受け入れか、否か。

ドキドキしながら目を通すと、ボクをアドバイザーとして雇うという内容の契約書と推薦状だった。やった。

契約書には、期間、給料、怪我に対する補償、仕事の内容など。
ちょっと、引っ掛かったのは、期間に関して、9月から11月のミラノショーまでとし、ミラショーに向けて共同で作った物の評価で、その後の契約更新ということ。
でも、これ以上の内容は現時点では望めないと判断したので、サインをして即返送した。
さあ、これで、文句ないだろうと契約書と推薦状をもって、イタリア大使館へ勇んでいくと、今度はこの書類がたりない、そうしてその書類をもっていくと、今度はあれがたりない。
いくたびに違う書類を要求された。まったくお役所仕事そのものだった。
それでも、こんな事ではめげていられないので、こちらもこれでもかこれでもかと、いわれた書類を用意した。

結局最終的に用意した書類は、
申請書、履歴書、自分の業務内容書、アドバイザーとしての推薦状、P社のイタリアにおける商工会議所許可記録のコピー、滞在費保証書、契約書、これらすべてをイタリア語か英語で記入したもの。
これらを全て用意して、7月にようやく申請が受理された。

ちょうどこの時期ヨーロッパのバカンスの時期にあたってしまったといこともあったのでしょうが、申請が受理されて、ビザがおりたのは、なんと9月の出発の3日前でした、イタリアという国は・・・・・・。