職人マツナガ通信

イタリア就職記 (28)

夕食はホテルでとっていました。

なんせ田舎街なのでレストランなんてものもないし(あっても閉店が早い)、ましてやコンビニなんてものは陰も形もありません。
さすがにホテルのレストランということで、メニューは何点かはありました。
よく分からないので適当に頼んでいたら、ある時、メロンに生ハムがのってきたものがでてきまいた。
初めてみた時は、えつ、何これ? という感じでした。
後で知ったのですが、これはイタリア料理の典型的な前菜だったのです。
最初はとても奇妙な味と感じましたが、後半は結構いけるじゃんと感じるようになり、これでオレもイタリアンなんておもってました。

通勤には、P氏がスカスカの軽自動車を貸してくれましたが、貸してくれた翌日からぶっ壊れてしましい、結局P氏が出勤の時に拾ってもらうことになりました。

当然自転車通勤とおもっていたのですが、工房近辺は、この町のちょっとした工場地帯となっており、防犯のためにドーベルマンのような大型犬がそれぞれの工場で飼われていて、(P工房にもデカイのが一匹いました、そいつがいつも工房内をウロウロしてました)工場によっては、そいつらを入口の外に放し飼いしていたので、自転車で近づくにはちょっと危険状況でした。

余談になりますが、当時隣のユーゴスラビアとか東ヨーロッパからの難民が、かなりイタリアに流れこんできていたようで、P氏は彼らをジプシーと呼んでました。
工場へまわる電線から直接電気をとったりして、空き地に住んでしまうような強引な人たちもいて、こんなこともあり防犯に関しては日本では考えられないくらい、しっかりしていました。

一般のこそ泥も結構多く、当時は車のカーステが盗まれる事が多いらしく、なんとカーステがポータブルになってました。
車を降り時、ガチャンとカーステをダッシュボードからはずして、手にぶら下げて車を降りるのでです。
ボクからするとなんとも奇妙な光景でした。これもカルチャーショックの一つなんでしょうね。

こんな感じで、到着してから3週間くらいはホテル暮らしをしてました。
やはり、ホテル暮らしというのは落ち着かず、結構疲れるので、P氏にははやくアパートに移りたいとことある事にいってました。