職人マツナガ通信

イタリア就職記 (4)

千葉師匠に承諾をもらったのが90年末、91年には行き先が決まろうが決まるまいがアマンダを離れる事が決まり、さてどうするか。

まずは行き先ですが、自分の目的が、レースの現場があるところでフレーム作りをしたい、ということなので、レースと自転車工業があるところを探すと、必然的にイタリアということになり、イタリアの工房を探すことに決定。

今回自分の中で決めていたことは、決してタダ働きはしない、 ということ。
もちろんレースの現場での仕事を勉強するという事はありますが、基本的には日本で身につけた技術を、レースの本場へ売り込みに行く(試しにいく)というが第一、一人前の職人として扱ってもらえないのなら、働く意味がないと考えてました。
イタリアで修行してきた人は何人もいましたが、日本から職人として働きに行った人というのは、聞いたことがなかったので、これならやってみる価値があるなと思ったからです。
幸いにして、当時ヨーロッパではまだ接着フレームが珍しい頃で、ボクにはアマンダで勉強させてもらった接着フレームの技術があったので、イタリアの職人がもっていない技術があれば、これは大きな武器になると踏んでました。

レースのない国から、レーシングバイクの技術を売りに行く、普通に考えれば無謀ですよね。
ただ、ボク自身若かったこともありますが、雑誌や見聞きしたことから察すると、日本のフレーム作りというのは、ヨーロッパのものに比べて、相当科学的に作られているなという自負がありました。