職人マツナガ通信

10月27日

ショボちゃん田代選手が当時どれくらい軽いギャをつかっていたかというと。
ツールド北海道最終日、札幌の公園を使ったクリテリウムだったと記憶します。
コース高低差おそらく5m位、思うに筑波サーキットくらいだったような気がしま
す。
前日に田代選手に明日のスプロケットギャは12ー21でいいと聞くと、
”12-25付けて下さい”
えっ、25?!
”後半たれてきたら使うかもしれませんから”
どう考えても使うようなコースではないのですが、ご本人の意思を尊重して希望通り
のギャを取り付けたました。
まあ、あんな平坦なコースをあのギャでトップ選手と渡り合えるというのも能力の一
つの証明からもしれませんが。
こうやって無事札幌の町にゴールしてツールド北海道を終了しました。
総合でたしか12・3番(多分、これはちょっとあやふやな記憶です)、日本選手と
しては1・2番だったんじゃないでしょうか。
ゴール後打ち上げで、当時の”リマサンズ厚木”のオーナーであり今回監督を務めた
阪間社長の粋なはからいでとススキノの町にくりだし、これ以上食えないというくら
いお寿司やラーメンを一緒に食べたのはた楽しい思い出ですね。(オトナの遊びはし
ていませんので悪しからず)
このツールド北海道と国体の成績が浅田監督に認められて、ブリヂストンアンカーの
選手に昇格できたと記憶します。
リマサンズ厚木卒業です。
こうやってトントン拍子で日本で一・二番のオリンピック選手がゴロゴロいるチーム
に入ることが決まったのですが、それはそれで田代選手にはまたプレッシャーがか
かっていたようです。
この一流のチームではたして自分がやっていけるのか・・・・。

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