職人マツナガ通信

2003年 9月10日

ツールド北海道が始まりました。
 
ショボちゃんタシロくんが日記でかいているように、今回のコースにはボクも思い出があります。
 
リマサンズを立ち上げて、ようやくツールド北海道にでれるまでに、ポイントをとれるようになり、ボクもメカとして初めて参加した6年前の大会と、同じようなコースです。
 
当時初参加のチームとしては、周りはそうそうたるチーム、もちろんボクらもそれなりに自信をもってのりこみはしましたが、どうなることやら、と不安少々。
タシロくんにしてもそうだったと思います。
大学卒業で就職活動せず、自転車レースでメシをくいたいと、リマサンズの門をたていてレース活動をしていて、どうしたらメシが食えるのか、あまり見通しもたっていなかったこの時期、実力も状況も不安で一杯だったはず。
 
それが、走る事に順位が上がっていき、一番きついといわれた山岳ステージでは日本人では最高順位をとった。
タシロくんにとって、これがメジャーデビューだったと思います。
彼にとってこのレースが、その後の自信にすごくつながったと思ってます。
 
このツールド北海道で、タシロくんの印象にのこったコメント。
 
ステージ中もっとも長い200kmのコースの前日の夜、ソワソワするショボちゃんに、
 
(マ)「あしたは長いけど平地だから楽勝だよね」、
(タ)「でも、200kmですよ!」
(マ)「だって、200kmなんて練習で何度も走ったことあるだろ」
(タ)「ないですよ!生まれてこのかた、自転車で200kmなんて走ったこと無いんですよ!明日が生まれ初めてなんですよ」
 
レースが終わって、札幌の居酒屋さんで打ち上げの時、
 
(マ)「今回くらいの成績を出せばアサダ監督もほめてくれるんじゃないの」
(タ)「そんなこと、あるわけないじゃないですか、山岳ステージの時もほめてくれませんでしたよ」