職人マツナガ通信

8月10日

夏休み特集

イタリア就職記 (2)
折しも90年に日本で、自転車の世界選手権がありました。
日本での開催が決まった時から、
日本の自転車レースシーンもにわかにかわりはじめました。
日本人のロードのプロチームが初めて発足して、
世界戦に向け活動が始まったのです。
自分の中で、日本で仕事していく環境が、
もしかしたら何かが変わるかも知れない、
という期待感がありました。
蓋を開けて90年、秋、日本で最初で最後といわれてた、
世界選手権が幕をあけました。
ボクも毎日、ピストとロード全種目をみるために通いました。
そのスピードのすごさと雑誌でしかみたことない選手をみれて感激し、
また、世界選手権って、自転車業界(レースを含め)に携わるヒトのお祭りなんだ
な、
ということを強く感じました。
そうして、開催がおわると、
潮が引くように、サ~、っとそれまでの自転車熱はなんだったの、
という感じですべてが元にもどっていきました。
結局、自分を取り巻く環境はなにも変わらなかったのです。
日本で仕事をしている限り、今以上の環境は手にいるれる事はできない、
という思いがつのっていくばかりでした。
これ以上の環境というのは、
レースの現場により近いところで仕事をするということ。
ハードなレースあって、
世界のトップクラスの選手が参加して、
そんな土壌でフレームをつくり、
つくったものがそのハードな環境ですぐに評価される、
そんな環境です。
もう、待っていてはなにもかわらない、
歳ももう30才なるし、
アクションをおこすなら今しかない、
という思いにかられて、
いよいよアクションをおこしはじめたのです。