イタリア就職記 (40) こうして、ミラノショーへ出すべきモノができあがり、ボクもP工房のスタッフの一員として、11月のミラノショーへ参加しました。 ミラノショーは当時は二年に一回(現在は毎年)ミラノの国際展示場で開かれる、自転車とモーターバイク…続きを読む
イタリア就職記 (39) こうしてボクが作ったフレームに、P氏が最終のカラーリングデザインをしました。 P氏のこういう感性はほんとにすごいと思いました。 つくったものは日本にいた時とかわらないのですが、仕上がってみると、やはり似て非なるモノという…続きを読む
イタリア就職記 (38) P氏とはしょっちゅう衝突していましたが、仕事上のことですから、お互いに根を持つことはなかったです。 いいか悪いか、イタリアにいる間、かなり彼と一緒に居る時間がありました。 仕事はもちろん、プライベートでも、一人のボクを不…続きを読む
イタリア就職記 (37) ハンマーを投げる職人P氏についてかきますね。 彼は若い頃プロレーサーを目指して、町のクラブに入り毎日レースに明け暮れていたそうです。 その後は、働きながらデザインの夜間学校に通い、とにかくデザイナーになりたかったそうです…続きを読む
イタリア就職記 (36) P氏もたたき上げの職人らしく、頑固で直情型でした。 ボクともよく、衝突していましたが、他の職人ともやってました。 P氏が指示をあたえて、それを職人がかたちにするのですが、それが自分の思い通りにできていないと、ものすごいオ…続きを読む
イタリア就職記 (35) さて、いよいよ本番のロードのフレーム作りです。 このでき次第で、ミラノショー以後の契約が決まるので、ボクも気合いが入ります。 P氏が、デザイン上でこうできなか、ああできなか、とボクにリクエストしてきて、それをボクがそれは…続きを読む
イタリア就職記 (34) こんな感じで衣食住は少しずつ落ち着いてきました。 手続きの上で予想もしなかったことが一点起きてきました。 日本であれだけ苦労して取得した労働ビザなのですが、 イタリアではそれだけでは滞在できなかったのです。 …続きを読む
イタリア就職記 (33) イタリアの人はホントにコーヒーが好きでした。 それも、エスプレッソからカップチーノ、それ以外はコーヒーでないという感じでした。 P工房にも、エスプレッソマシーンがあり、(ボクが訪れた会社クラスのところには必ずありました)…続きを読む
イタリア就職記 (32) イタリアにはBAR(バール)という、一杯飲み屋兼カフェみないなものが、ホントにたくさんあります。 日本のコンビニも顔負けというくらい、田舎町なのに並びで何軒もあったりします。 イタリアの人はみな、ひいきのバールをもってお…続きを読む
イタリア就職記 (31) 工房での仕事時間は、月曜から土曜まで、ただし土曜日は半日。 朝8時半から始まり通常は6時位におわりますが、仕事が立て込めば遅くまでやります。 お昼休みは、12時から1時半くらいまで各人家にかえって、ご飯を食べて昼寝をいし…続きを読む